2016年1月16日土曜日

家が「好き」な理由

 わが家には1年中、いきものがいる。飼っているわけではない。現れるのだ。冬だからもういないだろうと思っていたハエが、師走も年が明けた今も飛んでいる。夏目漱石は「うるさい」に「五月蠅い」の字を当てた。それにならえば「十二月蠅い」「一月蠅い」だ。
 師走のある日、少し大きめのクモがこたつカバーの上を動き回っていた=写真。ネコハエトリかと思ったが、ヒラタグモだった。人家の壁面などに巣をつくるという。この冬は植物が早々と花を咲かせただけでなく、虫たちもうごめいている。

 先日、小2と保育所年長組の孫の“学童保育”を引き受けた。そのときに聞いた、祖父母の家が「好き」な理由。

 上の子――。庭を見ながら「神谷の家(わが家)は汚いねぇ。久之浜の家(母親の実家)はきれいだから好き。2階の日本間は広いし」。わが家は、部屋という部屋が雑然としている。茶の間はもちろん、寝室、2階の二つの部屋は私の本や資料だらけ。物置同然だ。階段も半分は本棚になっている。庭も、ときどき風で吹き飛ばされてきたレジ袋やプラスチック容器が散乱している。

「きれい」でないのは事実だから、「なにを、こいつ!」と思いながらも、表面は「ふーん」と聞き流す。上の子が話し終わるとすぐ、下の子が別の意見を述べた。「ボクは神谷の家が好きだよ。スズメバチもいるし、ナメクジもダンゴムシもいる。ゴキブリもいるから」

 ゴキブリねぇ――。確かに、庭の木にはアマガエルがいる。カナチョロもすんでいる。家にはスズメやヒヨドリが入り込む。アゲハなどのチョウ類もガも、蚊もコオロギも出たり入ったりする。「いきものがいる家」だから好きなのはいいが、ゴキブリまで例に出されると、こちらも「うーん」とうなったまま二の句が継げない。
 
 祖父母と孫の関係だから、物言いは率直だ。見たまま、聞いたままを口にする。しかし、「批評する目」も感じられるようになった。すると、これからますます「ここが好き」「ここが嫌い」といったギロンが多くなってくるのだろう。自分の少年時代を振り返ればわかる。
 
 おととい(1月14日)の朝は急に冷え込んだ。新聞を取りに玄関のたたきに下りたら、ゴキブリがひっくり返っていた。凍死したか。あとで外出をするときに見たら、消えていた。カミサンに聞くと、ごみ袋に入れて出したという。「ゴキブリがいるから好き」。下の孫の顔が思い浮かんだ。

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