2016年1月13日水曜日

テレビドラマ「水戸黄門」

 きのう(1月12日)、1年半ぶりに孫の“学童保育”を引き受けた。前回と同じ通学路の途中にあるカレー料理店「マユール」の前で待ち合わせた。前は黄色い帽子の小1だった。2年生の今は白い帽子になった。黄色い帽子に続いて白い帽子がやって来た。黄色い帽子に比べたら背が高い。当たり前だが、足取りもしっかりしている。 
 孫を車に乗せ、いったん家に寄って、本人と保育所年長組の弟のスイミング用具を持ってわが家に移動した。宿題のノートも忘れずに。「保育所は3時50分、スイミングクラブは4時20分」と親から言われている。
 
 まずは宿題だ。午後3時台のテレビドラマ「水戸黄門」(再放送)を見ながら宿題をする癖がついているようだ。ときどきテレビに目をやりながら宿題をすませた=写真。
 
 私は、再放送の「水戸黄門」は見ない、と決めている。それを見るようだと年を取った証拠――。もうだいぶ前の話だが、近所の人が見ているといい、生まれ故郷の同級生も1人、還暦同級会で顔を合わせた際に見ていると打ち明けた。だから、よけい見ない。でも、孫に「見たい」と言われれば、つい「そうか」となる。
 
 孫が自分の家でスイミングパンツにはきかえながら、「水戸黄門」のテーマソングをくちずさむのを聞いて、ハッとした。なるほど、なるほど。孫が江戸時代に興味を持ったのは、この「水戸黄門」からか。
 
 弟を保育所まで迎えに行く道すがら、上の子と水戸黄門の話をした。「黄門さんはいわきに来たことがあるんだぞ」「えっ」「鮫川の方だけどな」。これは昔、歴史研究家の故佐藤孝徳さんに教えられたことだ。

「なんで来たの?」「物見遊山じゃないかな」「モノミユサン?」「花がきれいだから、葉っぱが赤くてきれいだからって、そんな感じ」。「勿来の関」に来たことを、そこまで拡大解釈をしていいものか、自信はない(「勿来の関」は史跡というより文学的存在、その点ではモノミユサンの対象だが)。
 
 それから保育所時代の友達のじいじの話になった。「なんで知ってるの?」と聞くから、「○○クンのじいじは市の職員、このじいじは新聞記者。それで会ってたの」「ふーん、そうなんだ」。○○クンのじいじは、趣味で「歌手活動」をしている。チケットがどうのこうの――と孫が言っていたが、それはきっと周りの人がチケットをさばくのに苦労した話だろう。
 
 孫がどこまで現実の社会を理解しているかはわからないが、大人の話が通じるようになった。わが子のときと同じく、孫にも、私が小2のころに体験し、感じたことを踏まえて、きちんと対応しないといけなくなった。はぐらかしは厳禁だ。
 
 間もなく小1になる下の孫も、サルから人間へと急速に変わりつつある。保育所から駐車場まで戻るのに、2人の孫はすぐ駆けだした。下の孫があとからのろのろついていく私を振り返って、「じいじは走れないの?」とニヤリとしながら言った。うーん、悔しいが走れない。
 
 スイミングクラブで、「歌手」の元市職員氏に会った。やはり、孫の送迎をしているのだという。このごろは、保育所の「おゆうぎ会」や「運動会」で顔を合わせる。少し立ち話をした。今はお互い、現役のころには想像もつかなかったことをしている。だから、人間はおもしろい。

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