2016年1月27日水曜日

天知る地知る

 先日、いわき市小名浜大原の徳蔵院で「初観音」が開かれた=写真。寺の前方を流れるのは、たしか矢田川。すると、寺の山の陰(北東方向)は鹿島町御代か。寺のあるところは岸前。「山岸の前」でもあり、「川岸の前」でもある。
 そのとき、ふと70年近く前の幻像が立ち上がった。矢田川の堤防を、乳飲み子を背負った若い女性が足早に歩いている。背中の子は母親が歩を進めるたびに上下に揺すられる。それほど母親の足は速い――。

 矢田川は小名浜南富岡で藤原川に合流する。合流部に二ツ橋が架かる。その近くに1年先輩の友人の家がある。20歳前後のころから、友人宅へ行き、飲んでは泊まり、飲んでは泊まりを繰り返した。母上には頭が上がらない。

 その母上が亡くなり、師走に葬式が行われた。大正9(1920)年生まれの95歳だった。

 母上は鹿島町御代で産湯につかり、のちに小名浜南富岡の家に嫁いだ。ときどき二ツ橋を渡り、矢田川の堤防を歩いて、右手に見える小高い山陰の実家へ帰った。歩き方は駆けるように速かった、と75歳の弟、つまり友人の叔父もいう。その距離はざっと5キロ前後か。

 納骨後の精進あげで、競歩選手のように歩き方が速かった話だけでなく、「天知る地知る」という母上の口癖が話題になった。子どもはときになまけたり、ズルをしたりする。それを隠そうともする。と、すぐ「天知る地知る」という言葉が飛んできた。だれも見ていない、だれにもバレないと思ったら大間違いだ。天が知っている、地が知っている。

 母上の父親は旧鹿島村長で考古・歴史研究家として知られた八代義定(1889~1956年)だ。大正時代、牧師として磐城平に赴任した詩人山村暮鳥の理解者・協力者でもあった。「天知る地知る」はその父親から授かった人生訓だろう。

「天知る地知る」には続きがある。「我知る人知る」。世の中には不正や差別やごまかしがはびこっている。個人や企業、政治家まで、枚挙にいとまがない。見つからなければいい、バレなければいい――ではない。天が知っている。地が知っている。自分が知っている。人が知っている。金銭贈与を拒んだ古代中国の官僚の清廉さに由来する。

 人としての道を踏み外すな――地域の片隅に生きた一人の母親の、人間の矜持(きょうじ)のようなものが、この世の中を支えている。母上の方が拝金政治家や企業経営者よりよっぽど偉い。

0 件のコメント: