2016年1月6日水曜日

年賀はがき2016

 年賀はがきは友人・知人から届く1年に一度の“近況報告”でもある。悪い癖で、新年を迎えないと「明けまして……」となれないため、こちらから先に出したのは一度だけだ。元日から、届いた年賀はがきを見ながら一筆添えて返礼のはがきを出している。
 大震災・原発事故後は、西暦の前に「原発震災紀元○年」を入れている。自分のなかにある怒りのようなものが収まらない。今年は「原発震災紀元6年」だ。生きているかぎりは「原発震災紀元」を使う。

 3・11後は昔からの友人・知人のほかに、新しく知り合ったNGOのスタッフや若い研究者からも賀状が届くようになった。双葉郡から避難し、いっとき、わが家(米屋)のオープンスペース=まちの交流サロン「まざり~な」を利用した人からも。

 いわき地域学會の若い仲間からは、いわき市田人町の朝日山で撮影した富士山の賀状が届いた。「いわきから富士山が見えた」ことは元日付の当欄で紹介した。彼は元日にも朝日山に登った。初日の出と初富士を写真に撮ってフェイスブックにアップした。これも見事だった。私が現役であれば、“特ダネ”としていわきから見えた元旦の「赤富士」を新聞に載せるのだが。

 66歳の後輩からは「ピアノを習い始めました」という便り。年賀はがきに五線譜ならぬ「三線譜」が引かれ、音符にところどころ鳥が描かれていた。そらでは音符を読めないので、いずれギターで音を追いかけてみようと思う。

 元日に長男一家があいさつに来た。今春、小学校に入る下の孫からも年賀はがきが届いていた。上の孫は去年、年賀状に興味を示して出してよこした。今年は書かなかったようだ。それと同じで、一度は出してみたくなるのだろう。「あけましてうめでとうございす」。「お」が「う」になり、「ございます」の「ま」が抜けている。赤鉛筆でかかれた絵が“判じ物”に近い=写真。

 一見、「五郎丸」と思ったが、よく見ると鶏冠(とさか)がついている。恐竜にそんなのがいたな。カミサンが下の孫に「ありがとう、ウサギの絵?」といったものだから、母親らが爆笑した。ウサギではない。ネットで調べて、下の孫に確かめた。「パラサウロロフス」だった。

 暮れにクリスマスプレゼントを買ってあげた。上の子は歴史もの、下の子は昆虫図鑑、2人共通のものとして魚図鑑を選んだ。恐竜の絵本なんかはすでに持っているのだろう。子どもはどんどん知識を吸収する。「老いては子に従え」どころか、「孫にも従え」というところまで間もなくいく。
 
「老いては若い人にも従え」。富士山の賀状をくれた若い仲間と4日夜、2人で地域学會市民講座の案内はがきを印刷した。終わって、若い仲間がパソコンに昭和22年秋、アメリカが空撮した平市街の写真を取り込んでくれた。敗戦間際の空襲、いや「空爆」のあとがはっきりわかる。今年はこの写真をときどき見て、いろいろ考えを深めることにしよう。

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