2016年1月28日木曜日

墓も避難

 双葉郡内から現住地に墓を移す避難者が増えている、という1月26日付の読売福島版の記事=写真=を読んで、原発事故のむごさをあらためて思った。「震災5年」の企画である。元記者としては、暮らしの中から掘り起こして「ニュース」にする、こういう記事に引かれる。
「原則立ち入り禁止の帰還困難区域にあった墓」をいわき市に移した人の話を軸に、震災後のデータを踏まえて記事を構成している。

 その人が建てた新しい墓には「震災前に他界した母と妻、原発事故後に避難先の病院で亡くなった父」が眠る。元の墓には代々の先祖も眠っていたのだろう。「先祖には申し訳ないが、仕方ない」と決断した。同じ団塊の世代の人間として、その人の葛藤がよくわかる。いや、家や土地以上に「死者=墓」が葛藤を生んだ。
 
 私の実家の墓は田村市常葉町にある。「1F」からは30キロ以上離れている。それより東、同市都路町の母の実家の墓は25キロ余。たまたま避難指示区域外だから、墓を何とかしなくては、といったようなことにはならずにすんだ。
 
 でも、もしその地域まで強制避難の対象になっていたら、墓は、いや死者は――と考えたことがある。記憶にある祖父母や父母の墓は移転しても、記憶にない先祖の墓は、申し訳ないがそのままにしておく。なぜって、祖父母や父母は今でも胸中に生きているからだ。「生きている死者」を置き去りにはできない。

 記事はまた、寺自体も近隣の町に仮寺務所と墓をつくる計画があること、住民の帰還に向けて双葉郡内の自治体が地元にそれぞれ共同墓地を建設する動きがあることも伝える。

 いわきに根をはやした今は、ふるさとへ帰るのは、第一には父母の墓参りが目的だ。ふるさとはそういう地に変わった。双葉郡内には逆に、墓を避難先に移さざるを得なくなった人がいる。つらいことだ。(おっと、そうだった。寺へ自分の墓地の管理料を納めに行かないと。いつも忘れて滞納してしまう)

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