2016年1月2日土曜日

のぼり猿

 床の間には鏡もちとスイセン。ついでに、今年(2016年)は申(さる)年だからと、カミサンが宮崎県延岡市の郷土玩具「のぼり猿」を飾った=写真。スイセンの花には若松の代わりに月桂樹の葉を添えた。
 月桂樹はカミサンの実家にあった、若いときのフランス旅行の記念樹で、物置を建て替えるために伐採されたあと、根を掘り起こして夏井川渓谷の隠居に埋めたら再生した。わが家の近所にある故義伯父の家の庭にも根の一部を埋めたら根づいた。それから派生した枝の葉を切って飾った。スイセンも同じ庭に咲いていた。

 江戸時代、内藤の殿様が磐城平藩(現いわき市)を、次いで延岡藩(現延岡市)を治めた。その縁で、いわき市と延岡市は延岡転封250年の節目の年に当たる平成9(1997)年、「兄弟都市」のちぎりを結んだ。そのときだったか、いわき地域学會のメンバーも加わって訪問団が組織された。歴史研究家の故佐藤孝徳さんから、みやげだといって「のぼり猿」をもらったのだった。

 床の間に飾られた「のぼり猿」を眺めながら、不意に「武家の内職」と「磐城の小旗(絵のぼり)」ということばが思い浮かんだ。確か、「のぼり猿」のいわれを孝徳さんが解説してくれたはずだ。そのキーワードだったのかもしれない。

 ネットで検索すると、「武家の内職」は当たっていた。「のぼり猿」は延岡を代表する郷土玩具で、江戸時代、延岡藩の下級武士の奥さんたちが手内職としてつくったのが始まりだそうだ。なかには、その前から――というのもあるが、内藤家臣団の奥さんたちの手内職だったことには変わりがない。

 烏帽子(えぼし)をかぶり、鼓を背負った張り子の猿が、菖蒲(しょうぶ)が描かれた「のぼり」にぶら下がっている。のぼりが風をはらむと猿が上昇し、風がやむと下降する。「昇り猿」と思っていたが、ほんとうは「幟猿」だったか。端午の節句に子どもの立身出世や無病息災、五穀豊穣を願った。

 いわゆる吹き流しタイプの「鯉のぼり」が登場するのは近代になってから。いわき地方で端午の節句の「のぼり」といえば「絵のぼり」(小旗)のことだ。「のぼり猿」が内藤侯の時代に始まったものだとしたら、いやその前からあったものだとしても、藩士や家族の、磐城平への望郷の念がそれにこめられた、とはいえないだろうか。
 
 ま、貧乏藩の窮余の策が成功して、今は郷土玩具として延岡のシンボルにもなった。ローカルな現場にはいつも新しい「のぼり猿」が求められている。それはともかく、いわき市は今年、市制施行50周年の節目の年。兄弟都市の玩具にあやかって、「昇り猿」の1年であってほしいですね。

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