2016年6月14日火曜日

り災証明

 5年たった今も、車の燃料計の針が半分を切ったら=写真、ガソリンを満タンにする。東日本大震災に伴う原発事故で一時避難した。ガソリンが少ししかなかった。途中でガス欠にならないか……。「備えあれば憂いなし」というほどではないが、アシだけは確保しておきたい。危機感が骨身にしみている。
 きのう(6月13日)の「あさイチ」は、メーンの3人にくまモンが加わって始まった。いきなりの出演に驚いた。「平成28年熊本地震」(4月14、16日に震度7)から2カ月。り災証明や子どもの心のケアの問題を取り上げた。

 大災害は全体的な把握も必要だが、実際には個々の体験・被害の集積だ。1人ひとり、1軒1軒違う。建物の場合は「全壊」「大規模半壊」「半壊」「一部損壊」の4ランクがあって、市町村が評価する。その評価が義援金その他に影響する。

「あさイチ」では、専門家が「一部損壊」と判断されたケースについて再調査を申請すべきだ、とアドバイスしていた。経験者として「同意!」と胸中で叫んだ。以下、当時のブログの抜粋――。

 3・11から半年たった秋、屋根の瓦が1枚割れ、コンクリートの基礎に亀裂が入っていることに気づいた。ブログに書くと、匿名氏から「被災申請を出して判定を受けてください」というありがたいコメントをいただいた。

「り災照明」の申請をしたら、いわき市から調査に来た。母屋は「一部損壊」、離れは「半壊」の判定だった。その後、知り合いの建築士に話すと、「再申請をしたら」という。不服申し立てのようなものである。東京から応援に来ている公務員氏と判定員である建築士2人の計3人が再調査にやって来た。

 水平・垂直を測る道具を使い、家の内外をこまかく見たあと、目の前でマニュアル化されたチェック項目に点数(パーセント)を書きこんだ。「全壊」50以上、「大規模半壊」40~50未満、「半壊」20~40未満、「一部損壊」20未満のうち、「大規模半壊」に近い「半壊」の判定だった。「一部損壊」は、適当な見立てでしかなかった。

 調査した建築士の話では、基礎のコンクリートが割れて家の北西側が少し沈んだ。それで2階北側の床が2センチ近く下がったために、壁と梁との間にすきまができた。道路に面した北側1階の床にボールを置くと、コロコロ転がっていく。台所の外壁、戸のすきまなど、専門家に指摘されるまで知らなかった亀裂、ひずみもあった。

「半壊」の証明書が出るのはざっと3週間後。応援の公務員氏は支援・減免など利用できる制度の説明をする一方で、「一部損壊」の証明書を持ち帰った。

被災者の生活再建を支援する制度の一つに「損壊家屋等解体撤去事業」がある。「半壊」以上の判定を受けた家屋などについて、市町村が所有者の申請に基づき解体・撤去を行う。自ら業者を頼んで解体・撤去しても、基準額の範囲内で業者から払い戻しを受けられる。わが家の離れの解体撤去申請書を市役所に提出した。業者が来て取り壊したのは8カ月後だった。

 母屋も応急修理の手続きを取った。こちらの都合で先延ばしにしていたら、「災害救助法に基づく住宅の応急修理制度の手続きについて(お知らせ)」というハガキが届いた。修理見積書の提出期限は○月○日、工事完了報告書は○月○日――。災害救助にも締め切りがある。
 
 市のホームページから、災害対策本部が2016年6月3日現在でまとめた建物被害(非住家を含む)を見る。①全壊7902棟②大規模半壊9253棟③半壊3万3146棟④一部損壊4万879棟。災害対策本部はまだ解散していない。

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