今年(2016年)3月12日まで、いわき市で交流スペース「ぶらっと」を運営していた「シャプラニール=市民による海外協力の会」がきのう(6月26日)、日帰りのいわきファームツアーを実施した。
5年に及ぶ東日本大震災緊急救援・復興支援活動は終わったが、いわきとの縁が切れたわけではない。いわきの魅力、復興状況を見てもらおう――そんな視点からツアーが企画された。首都圏から12人、地元から私ら夫婦2人の計14人が参加した。
ツアーの目的は、いわきの野菜を使った中華料理店「華正楼」で昼食をとり、対岸の木田農場・オリーブ園で草むしりボランティアをしたあと、「ぶらっと」が入居していたスカイストアを訪ねる――の三つ。「いわき駅正午集合・午後5時解散」がミソだ。
華正楼には夏井川渓谷の隠居で土いじりをした帰り、遅い昼食時にときどき寄る。だいたい五目焼きそばにする。今回初めてランチを食べた。食卓がたちまち皿でいっぱいになった=写真。
店の若いシェフとは、平成22(2010)年度から27年度まで実施された市の「いわき昔野菜」発掘調査事業のなかで知り合った。昔野菜は、流通にのった「いわき野菜」とは別の、「もうひとつのいわき野菜」だ。
同事業では①昔野菜(在来作物)の発掘・調査②展示・実証圃(ほ)での栽培③昔野菜フェスティバルの開催④昔野菜に関する冊子の製作――などが展開された。食の安全、地産地消といった農の営みの原点に立ち返り、次世代に種子と食文化を継承しようという動きが生まれたとき、“原発震災”が起きた。
原発震災では、福島県の第一次産業が風評被害の嵐に見舞われた。市は、放射線量を調べて公開する「見せる化」事業を始めた。その過程でさらに、生産者と料理人のきずなが深まり、「地産地消」への理解を深める市民が増えた。伝統と創造の融合、行政と市民の協働……。多様な「食文化都市」づくりの可能性が生まれた。
それはさておき、今回初めて食べたランチでは酸辣(スーラー)味のスープをお代わりした。甘く煮つけたミニトマトのデザートも不思議な味がした。こちらは研究熱心なシェフらしい創作か。
「地産地消」の魅力は、いながらにしてそれを口にし、手に入れることができることだ。それを食べたくなったらそこへ出かけていかなければならない。「カツオの刺し身を食べたくなったらいわきへどうぞ」。それと同じで、「いわきの若いシェフの料理を食べたくなったらいわきへどうぞ」。それぞれ違ったいわきファンが増えることが、ほんとうのいわき支援になる。
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