茶の間の南に庭がある。庭を背にして仕事をしている。晴れた日には戸を開ける。虫が入ってくる。鳥の声が聞こえる。正岡子規の『病牀六尺』にならえば、ノートパソコンと向き合う「座卓1メートル」の世界だ。夜は、そこが晩酌の席になる。
「父の日」の晩から、「田苑」とは違った麦焼酎=写真=をなめるようにして飲んでいる。疑似孫の親から、父の日必着で届いた。
「母の日」と「父の日」は太陽と月のようなものだ。カミサンの父母も含めて親はすでに彼岸に渡った。「母の日」「父の日」になにもしなかった自分を棚に上げていうのだが、「母の日」は明るく輝いている。今年も疑似孫の親から花が届いた。
「父の日」の朝、夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、市街に戻って、スーパーで昼食用に「牛めし」を買った。ふだんは食べない。「父の日
いつもありがとう」のワッペンが張られていた。それに引かれて、自分で自分をねぎらうことにした。(フェイスブックで父親が、息子から「父の日、おめでとう」のメッセージが入った、と嘆いていた。笑ったが、「父の日」を忘れないだけいい)
夕方、酒の入った会合から帰ると、プレゼントが届いていた。「母の日」だけでなく「父の日」にも――。ありがたいことだ。
このところ、なにやかやと忙しい。晩酌の時間になってようやく、その日の出来事を振り返る。夏至。フェイスブックに日の出の情報がアップされて、初めて気づいた。夏至を忘れているほど気持ちに余裕がない。その代わりというか、「座卓1メートル」の世界に身を置いていると、ときどき庭を振り返ることがおきる。
朝、庭にウグイスがやって来て、崩れた感じのホーホケキョをやった。季語でいうと「老鶯(ろうおう)」。プラムの実が色づきはじめた。二股に分かれた幹の一方が菌に侵されている。「ギ、ギ」とか細い声。立ち枯れを見つけたコゲラかもしれない。アシナガバチもふわふわ飛んでいる。ウグイス、コゲラ(ほんとうにそうだったら)は珍客だ。
マチ場ながら庭には尽きない自然のドラマがある。今週いっぱいは、「父の日」の焼酎をなめながら、そのドラマを反芻する。思い出した。「ジッ」とか「チッ」とかいう虫の声も聞いた。そろそろニイニイゼミが鳴きだすかもしれない。
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