おととい(6月6日)は朝、寺の赤ちゃんがパパと、きのうはそれより少し大きい赤ちゃんがママとやって来た。パパはママの代理で熊本から届いた“抱っこくまモン”を買いに、もう一人のママはフェアトレード商品であるコーヒー豆を届けに来た。私も2人のママを知っている。が、きのう来たママはどちらかといえばカミサンとの付き合いが主だ。
東日本大震災では、それぞれ被災しながらも大津波や原発事故で避難を余儀なくされた人々の支援活動を続けた。その間に2人はママになった。
寺のパパは埼玉出身。実家の周囲で栽培されているキュウリやニンジンなどをみやげにいただいた。糠漬けの材料が切れていた(週末は買い物にいくヒマがなかった)ので、すぐキュウリを糠床に入れた。夕方にはいいあんばいに漬かっていた。やわらかかった。
コーヒー豆のママは高専の後輩でもある。今年(2016年)2月から4月まで週1回木曜日、いわき民報の「くらし随筆」を担当した。久しぶりに歯切れのいい文章に触れた。
最終回4月28日の「締め切り」と題する随筆=写真=を切り抜いて手元に置いている。「くらし随筆」を引き受けて3カ月間、週1回の締め切りが「何となく過ぎていく日々に輪郭をつけてくれるように感じた」という。
彼女が「くらし随筆」を始めたころ、わが家へやって来た。会って感想を述べたあとに「締め切りのある生活はいいものだよ」と言い添えた。
私がいわき民報をやめたときには「締め切り」から解放されてホッとしたが、3カ月ほど過ぎると「締め切りのない生活」にむなしさを感じるようになった。そこへ、いわき地域学會の若い仲間が「ブログをやりましょう」と言ってきた。若い仲間がおぜん立てをしてくれたおかげで、こうして毎日8年余、ブログを書いている。
カネがからむ仕事や地域の行事、各種案内・アンケートなどにも「締め切り」はつきものだが、自分自身の暮らしのなかに「締め切り」のあることが私には大事だった――そんな思いで「締め切りのある生活はいいものだよ」と言ったら、最終回の文章に取り入れていた。
「締め切り」は「時間に追われるだけではなく、過去と未来をつなぐ今こそを、もっと深く味わうためにあるのかもしれない」。こういう「締め切り」観に触れるとうれしくなる。
そうそう、彼女の兄さんのツイートをフォローしている。だれかのリツイートを見てフォロワーになった。冷静で簡潔な妹の文章に対して、兄さんは少し自虐的ながらもシャープなつぶやきを発する。お笑いコンビ「アルコ&ピース」のピースだ。
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