先日、赤ちゃんをおんぶする、熊本地方の「もっこ」が「あさイチ」で紹介されていた=写真。いやあ、久しぶりに「もっこ」ということばを聞いた。
小学校の低学年生のころ(今から60年近く前)、ばあさん連中に「おだてもっこにのって」ウンヌンと「ほめられた」ことがある。ほめられたと思いながらも、ばあさん連中の表情から、いい意味なのかどうかわからなかった。子どもなりに複雑な思いでいたことを覚えている。
「おだてもっこ」がイメージできなかった。「もっこ」はわかっていた。底が網目状になっている運搬具で、前と後ろの左右の端が綱で結ばれている。その綱に棒を通して石などを運んだ。昭和30年代前半くらいまで、山里では幹線道路も、毛細血管のような生活道路も未舗装だった。そんな地域の道普請などに「もっこ」が使われた。
あの「もっこ」がなぜ「おだてもっこ」になるのか。10歳にも満たない子どもの思考力・想像力では理解ができなかった。
「おだてともっこにはのりやすい」ということわざがある。おだてるとその気になりやすいたとえに使われる。それが、阿武隈の山里、あるいはいわきの平地では、「と」が消えて「おだてもっこ」になる。
いわき市教委発行の『いわきの方言(調査報告書)』(平成15年)には、「おだてもっこ」は「おだてること」とある。例として「おだてもっこにはのるな」が紹介されている。報告書を編集した人間の意思が反映されている。ついでに「もっこ」を見る。ない。熊本では「もっこ」、いわき地方ではただの「おんぶひも」、ということだろう。
それはそれとして、孫2人が「おだてもっこにのせる」とその気になる年ごろになった。ジイバアは、孫をほめて、ほめて、その気にさせるのが役目。「もっこ」から、孫だったときの私と、今の孫たちの思いが重なった。
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