2018年3月11日日曜日

「かけがえのない日常」

 きょう(3月11日)は朝起きると、庭から海の方を向いて合掌した。あとはいつもの日曜日として過ごす。夏井川渓谷の隠居へ行く。午後はそこで区の総会が開かれる。久しぶりに出席する。わが家の庭のスイセン=写真=も「それでいい」と言っていた(というのはウソだが)。
 東北地方太平洋沖地震と原発事故がおきたとき、日常がかけがえのないものだと痛感した。無事であることが奇跡なのだと知った。その確認と自分の戒めとしてブログの一部を再掲する。
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(3カ月後の2011年6月8日)
 ときにいがみ合い、ののしりあいながらも、家族が向き合っていた3月11日午後2時46分以前の日常がなつかしい。恋しい。平々凡々の「無事な日々」がかけがえのないものに思える。
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(1年後の2012年3月11日)
 とうとうこの日がきた。ゆうべ(3月10日)は飲んでやれと思った。が、カミサンに焼酎の一升瓶を取り上げられた。

 そうだ、二日酔いで3・11を迎えるわけにはいかない。そんなことをしたら、亡くなった人たちに申し訳ないではないか。いや、そんな物言いこそが亡くなった人たちに失礼だ。

 3月に入った途端に気持ちが落ち着かなくなった。やらないといけないことがある。なのに、それが手につかない。たかだか「半壊」の家の住人でさえそうなのだから、津波で家や家族を失った人たち、原発事故に追われた人たちは、呼吸が苦しくなるほどの思いで3・11を迎えたのではないか。

「鎮魂には死者の魂を鎮めると同時に魂を奮い起こすという意味もある」。J―CASTニュースの「被災地からの寄稿」欄をのぞいていて、胸に入ってきたフレーズだ。

 岩手からの発信だが、そのフレーズを舌頭でころがしているうちに、魂が鎮められ、奮い起こされるのは、死者だけではない。生きている人間もまた鎮魂することで鎮魂されているのだ、と知った。悲しみとともにあなたたちの分も生きる、魂を奮い起こして――それがもう一つの鎮魂の意味なのではないか。
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(5年後の2016年4月18日)
 あれから5年ちょっと。胸底に澱(おり)のように沈んでいる“見えないもの”への不安を除けば、震災前の日常が戻ってきたようにはみえる。が、その日常もまた、ほんとうは危険と隣り合わせなのだ。たまたま危険と危険の間をすり抜けて生き延びてきただけ――という見方もできる。3・11を経験したからこその「日常」観だが。

(中略)おおむね人の暮らしは、朝がきたら起きる――日中は仕事に就く(子どもは学校で勉強する)――夜には眠る、その繰り返しだろう。特別なことはなにもない。それこそが日常というものだ。

 当たり前の日常にも波乱はある。大事に至らずに、小事でとどまっている分には「こんなこともあった」ですむ。東日本大震災で当たり前の暮らしが「かけがえのないもの」だったことを思い知らされた。                                              *            
 満7年後の今の気持ちも変わらない。きのう(3月10日)、「あしたは3・11か」と思ったのは朝の一瞬だけ。

 カミサンが出かけたので、店番をした。茶の間に陣取りながら座業をする。合間に電話がかかってくる。店に客が来る。いちいち立っていかないと用が足せない。自営業ってこんなにせわしいものなのか、なんて思いながら過ごした。

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