2018年3月5日月曜日

平郵便局の写真だった


 ざっと100年前。正確には明治43(1910)年だから、108年前に撮影されたものか。モダンな洋風建築物の平郵便局(現いわき郵便局)=写真=が写っている。その建物の落成式典後の記念写真とみた。
 明治5(1872)年7月、平・二町目に郵便取扱所ができる。同37(1904)年10月には田町に移転し、39年、「平大火」に遭遇、焼失する。同・三町目に仮局が設けられ、43年5月、同じ三町目に本格的な局舎が完成する――明治時代の平郵便局の沿革だ(『絵はがきの中の「いわき」』=いわき未来づくりセンター、2009年)。

 磐城平時代の詩人山村暮鳥と地元の若い仲間の人となりを知りたい。同時に、当時の町の様子も――という思いが強くて、いろいろ調べている。それでわかったことのひとつが、大正初期、暮鳥が出入りしていた三町目・十一屋は、明治時代には分家を含めて3軒あったということだ。

 本店・十一屋の向かいに染物十一屋、四町目に分家の染物のち料理店十一屋。三町目・染物十一屋の子孫でもある知人から、古い写真と戸籍簿などを借りた。その中に平郵便局の写真があった。

 建物の前方には門松を連想させる式典用の飾り門、玄関の軒下には「落成式」の張り紙。飾り門と玄関の間に招待客らしい、はかま姿の男性たちが並んでいる。写真の裏には、染物十一屋の当主(知人の祖父)の筆で三町目の商店主と思われる23人の名前が書かれている。

 この写真の建物が平郵便局だとわかるまでには少し時間がかかった。『目で見るいわきの100年』(郷土出版、1996年)では、写真と同じ建物が「磐城・磐前・菊多郡役所」となっている。『いわき市史 第6巻 文化』(1978年)では、『目で見る――』で「平郵便局」となっている建物が「郡役所」だ。いったいどっち?

 きのう(3月4日)、ひょんなことから『絵はがきの中の『いわき』』を見て、「郡役所」ではなく、明治43年に落成した「平郵便局」だとわかった。『目で見る――』は写真の張り違いだった。
 
 郷土史関係の資料をあさり、分野の違う人たちと情報を交換しているうちに見えてくるものがある。拙ブログ2月13日「『十一屋』は3軒あった」、同18日「明治39年の大火」、同24日「112年前の大火で引っ越した一家」は、そうしてわかったことを書いた。きょうの写真の話もそうだ。人には会ってみよ、話を聴いてみよ――である。

0 件のコメント: