毎日新聞の東日本大震災関連企画のひとつ、「明日を探して」の5回目。おととい(3月11日)は、いわき市平薄磯地区で今夏、カフェ「サーフィン」を再開する女性の物語だった=写真。
福島支局の20代の女性記者が取材した。半年前、東日本大震災6年半企画「復興断絶」の取材に、わが家へやって来た。福島から何度も足を運んだ。9月14日、5回連載の最後に「避難者と本音出し合う」というタイトルで記事が載った。
半年前に知りあってからは、いわきへ取材に来ると、たまにカミサンに連絡をよこす。わが家へ寄っていくこともある。今度の取材では、とんぼ返りが続いた。電話をかけてきただけで終わった。別の日には、取材の一環なのか、私を指名して電話であれこれ聞いてきた。
カフェを再開する女性を知っている。カフェの仕事の合間にパッチワークをやっている。それで、震災前からカミサンとつきあいがあった。
2011年3月11日。彼女はたまたま大津波から逃れることができた。そのへんのいきさつは記事に詳しい。
同年7月。日曜日にかぎって通れるようになった海岸沿いの道を行くと、海に面した防波堤のそばに、1階部分の壁は抜けながらもちゃんと立っている家があった。そこに彼女がいた。以前は家に接続して、海側に1階は車庫、2階はカフェ「サーフィン」の建物があった。それは跡形もなかった。
大津波が押し寄せてきた当時の様子を生々しく語ってくれた。防波堤で津波の来るのを眺めていた住民はそのままさらわれた。義理の弟夫婦など身内を6人いっぺんに失った。
一時、内陸部の常磐でカフェを開いた。そのころの印象。海に手ひどい仕打ちを受けながらも、海とともにあった暮らしが忘れられない。いつかは薄磯に店を再建するつもりだ、と語った。その思いがこの夏、実現する。
「復興断絶」よりは、というべきか、「明日を探して」はいいテンポで文章が展開している。希望の物語だからだろう。それに、この半年で若い記者は急成長した? 福島での経験はまちがいなく次のステージに生かされる。ママも、記者もがんばれ。
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