これも“平・本町通り物語”のひとつだろうか。一町目横町の「カフェタヒラ(ときにカフェータヒラ)」の話だから、きのう(3月5日)アップした平郵便局の話の続きのようなものだ。
いわき市暮らしの伝承郷で3月25日まで、企画展「伝承郷収蔵品展 いわきのいろいろ」が開かれている。旧知の副館長さんから「大正15年と思われる職業別明細図を展示しています。一町目あたりにカフェタヒラが載っています」という連絡が入った。日曜日(3月4日)に朝一番で出かけた。
カフェタヒラは、私のなかでは「いわきの大正ロマン・昭和モダン」を彩る重要なスポットだ。大正12(1923)年11月13日付常磐毎日新聞に載った広告を見ると、店は当初、「平町紺屋町(住吉屋本店前)」=現せきの平斎場の西隣付近にあった。カフェとあるが、西洋料理を出した。
同じころ、平・三町目1番地には「乃木バー」があった。こちらも西洋料理店だ。大正14年3月10日付常磐毎日新聞に「平町西洋料理業組合」の設立広告が載る。いろは順に16店舗が並ぶ。なかに「カフェータイラ」と乃木バーがあった。
スペイン在住の草野弥生さんは乃木バーの係累(孫)だ。東日本大震災の1カ月後に起きた巨大余震で実家の庭に亀裂が走り、母屋もレンガ造りの蔵も解体せざるを得なくなった。一時帰国後、ダンシャリの連絡を受けて夫婦で駆け付けた。乃木バーの遺品がいろいろ出てきた。
なかに、木綿の紺地に赤く「のし昆布」が描かれ、「せ里ざわ自動車店より 乃木左(さ)ん江」という文字が書きこまれた横断幕があった。伝承郷に寄贈した。残念ながら今度の収蔵品展には展示されていなかったが。
「せ里ざわ自動車店」、つまり芹沢自動車は昭和3(1928)年創業のバス会社だ。平・三町目に本店があった。乃木バーとは同じ町内だ。乃木バーは、大正10(1921)年には営業していたから、「開店10周年」を記念して贈ったものか(と、これは私の想像)。
カフェタヒラの話に戻る。大正14(1925)年9月9日付常磐毎日新聞。「詩の会を開く」という小さな見出しで「平町及び付近の詩歌愛好家は8日午後7時から平町二丁目カフェータヒラに於て詩の会を開き何人でも入場を歓迎するが会費は金五十銭で自作詩の朗読詩についての感想研究をなすと」とある。開拓農民吉野義也(三野混沌)や、中国から帰国したばかりの若い無名の草野心平が詩を朗読した。
当時の夕刊紙は翌日の日付で新聞を出した。つまり、9日付は8日夕刊だ。夕刊を読んで店に行く“詩人”がいたかもしれない。ただし、「二丁目」は「一町目」の誤植か記者の誤認だろう。
カフェタヒラが平・一町目横町に移ったのはいつか。「詩の会」の記事からすると、大正14年にはすでに本町通りの一町目で営業している。それ以前のことになる。犬も歩けば詩人に当たる――というのが、当時の平町の文化的状況だった。カフェタヒラは詩人の巣窟、いや解放区だったか。
地図は「大日本職業別明細図之内 信用案内 福島県」(大正15年、東京交通社)といって、今は廃業した常磐湯本町の菓子店が創業100年を記念して複製したものらしい。平町の本町通り・一町目南側の並びにカフェタヒラがある(今のひまわり駐車場の東隣あたりか)=写真。
ずっと頭に引っかかっていたカフェタヒラの場所が、これでわかった。しかし、昭和に入って何年かたつと、新聞記事に「平カフェー」(平カフェ、タヒラカフェー)が出てくる。カフェタヒラと同じなのか、まったく別の店なのか。次はそれをはっきりさせないと――。
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