新舞子店には20代半ば、同業他社の記者たちとよく出かけた。みんなで行けば抜かれない――。仲がよかったことは確かだが、一緒ならひとまず特ダネに泣くことはなさそうだ、という思いがあった。ざっと45年前の話だ。
平店は逆に、職場に近すぎる。歩いて5分ほどのところにある。入るところを見られると、またさぼっているといわれかねない。そのうち、1階の駐車場に変わったオブジェが並びはじめた。ますます入りづらくなった。
海のブルボンにもオブジェはあった。素材は海岸に打ち揚げられた流木だ。マスターがそれを拾ってきて、仕事の合間にオブジェに仕上げた。そのころは外の置き物、控えめなインテリア、という程度だった。
やがて海のブルボンは営業を休止する。2011年3月11日。新舞子海岸を大津波が襲う。さいわい建物は残った。街のブルボンもマスターが亡くなり、店を閉めていたが、最近、お孫さんと仲間たちによってよみがえった。
知人が小川町でカフェを開く準備を進めている。その一環として、街のブルボンを借りてひとり修業中だ。で、カミサンが店を訪ねた。私も呼び出されて初めて入った。
聞いてはいたが……。オブジェの中にテーブルとイスがある。オブジェに囲まれて飲むコーヒーは、それはそれは格別な味だった。聖と俗、具象と抽象がごちゃまぜ。そのときそのときの気持ちのままに、キッチュで純粋な作品をつくる。ただただその一念には脱帽するほかない。
カウンターの上にジャコメッティ風の黒いオブジェがあった=写真右側。これだ、マスターの作品の原点は。元は、大雨の日に川の上流から流れ下り、新舞子の海岸に漂着した丸太だろう。足と腕が同じ半円状だからわかる。私はデビ夫人のような美女より、単純化されたこのオブジェのような作品が好きだ。味がある。
ま、ここでくつろげるようになるには、何度も通って“異風景”になじむしかない。あるいは、なにか日常から抜け出したくなったらブルボンへ行けばよい――そんなことを考えさせる不思議な店ではある。
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