2021年1月12日火曜日

岸辺のヤナギが消える

        
 きょう(1月12日)は朝5時前に起きた。玄関を開けて新聞を取り込もうとしたら、車に雪が積もっている=写真上1。3時前に一度起きて、寝室の窓から外を見た。雪はなかった。それから降り出し、わずかな時間で家々の屋根が白くなった。

冬から早春、南岸低気圧が通過しながら発達すると、太平洋側のいわきにも雪が降る。この冬の初雪だ。3連休明けの火曜日、ノーマルタイヤでの運転は自粛を――ということで、本題。

  “定線観測”をしている平・鎌田~中神谷の夏井川は、鎌田に続いて中神谷字調練場の風景がガラリと変わった。

 クリスマスイブのころから重機が目に付くようになった。サイクリングロードには「除草中」の看板が立ち、岸辺ではヤナギの伐採が始まった。字名からいうと、調練場~天神河原の河川敷で、夏井川がS字状に蛇行している。現状は河原(砂地)とヨシ原、草原。サッカーコートが複数とれるほど、土砂が広く厚く覆っている。

調練場には大水のたびに土砂が堆積する。おととし(2019年)の台風19号では、堤防寄りのサイクリングロードが、部分的に1メートル前後土砂で埋まった。

 年末年始をはさんでおよそ半月――。1月8日午後3時ごろ、街の帰りに見ると、岸辺のヤナギはあらかた伐採されて姿を消した。水辺の風情を演出していたヤナギの隊列が消えると、ある意味、寂しさがこみあげてきた。川向こうの竹林がよく見える。広い枯れヨシ原も重機で刈り払われ、いちだんと広さが際立つ=写真上2(1月11日撮影)。

 上流・新川合流点のハクチョウは? おやおや、砂地に上陸しているぞ。夕方の4時半ごろになると、近所のおばさんがえさをやる。それよりずいぶん早い。自転車でやって来たらしいおじさんが砂地より一段高いところからえさをやっていた。

 堤防の内側(人間の居住空間・畑などのあるところ)にネギ畑がある。手前は残りが2うね、奥は収穫が終了した。師走に入ると収穫が始まった。何回か写真に撮った。撮影データからの推測だが、奥の畑はうねが30前後、1うねには100本、あるいはそれ以上が植えてあったのではないか。それを老夫婦が何日もかけて少しずつ収穫するのを見てきた。

 その作業を参考にしながら、私も夏井川渓谷の隠居にある菜園から毎週、三春ネギを数本ずつ収穫した。おととい(1月10日)も10本を掘り起こした。

 そうそう、土曜日(1月9日)には磐城平藩御典医の子孫、Mさんから電話がかかってきた。ブログに出てくる調練場~天神河原についての問い合わせだった。笠間藩分領の医師たちが河川敷かどこかで、なにか人体に関する勉強会のようなことをしたらしい。小川に古文書が残っているという。

江戸時代、磐城平藩を治めていた内藤侯が延岡へ移ったあと、中神谷地区などが笠間藩領になった。延享4(1747)年、浜街道沿いの苅萱に神谷陣屋が置かれた。陣屋の裏手に藩士の兵式訓練を行うための河川敷が広がっていた。それが字名にもある調練場。ところが、夏井川に近いのでたびたび水害に遭った。文政6年(1823)、陣屋は、今は平六小になっている小川江筋沿いの山際に移転する。

Mさんは古文書研究のために調練場~天神河原の位置と現状を知りたかったようだ。笠間藩の処刑場は調練場のすぐ上流にある。字名でいうと川中島。「川中島と調練場は隣り合っている。天神河原も調練場と隣り合っている。調練場~天神河原には重機が何台も出て伐採・除草をしている。今がピークだから、堤防を利用して来るとすぐわかる」と答える。

車はスタッドレスタイヤを履いている。あとで白い雪原と化した調練場~天神河原の河川敷を撮りに行こう。

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