2021年1月18日月曜日

広野町に中華料理店を開業

       
 わが家の近くに中華料理店がある。昼どきはいつも込んでいる。オーナーシェフの下にマネージャー格の若い料理人がいた。20年、いやそれ以上だろう。シェフとともに調理場に立ち、出前も担当していた。

年末に店を利用すると、彼の姿がない。店でも、道でも会えばあいさつするくらいの関係にはなっていた。「どうしたんだろう」。調理しながら客の出入りを確かめ、バイトの女性や留学生たちに指示を出す――彼のいない調理場が想像できなかった。

年が明けて半月近くたったころ、カミサンが「載ってる!」と叫んで、タブロイドの「情報ナビ ime」を見せた。同紙は福島民報社が毎週木曜日に発行している。新聞に折り込まれてくる。<ふくしま気になるお店>に、顔と担々麵(たんたんめん)と店の写真が載っていた。年末に店へ行ったとき、いなかったワケがわかった。平の店を卒業して新規開業をしたのだ。

いわき市の北隣・広野町の役場前に公設商業施設「ひろのてらす」がある。そのなかに昨年(2020年)12月、「食と味の店 かなめ」(竹中信彦代表)がオープンした。その代表だった。

記事には①お薦めは、ごまの香り豊かな担々麺(税込み850円)②2種類のしょうゆを合わせたラーメン(同700円)③テークアウトを受け付けている④学生を対象にご飯と麺の大盛りサービスも行っている――などとあった。店は国道6号沿いだ。近くにふたば未来学園中学・高校がある。学生とはこの学校の子どもたちのことだろう。

阪神・淡路大震災から26年のきのう(1月17日)、日曜日朝。向こうは午前5時46分、こちらは午後2時46分に発生した、などと振り返ったあと、ドライブを兼ねて「ひろのてらす」を訪ねた=写真。中核店舗はイオンだ。

広野町の北隣に楢葉町がある。そこに震災復興拠点の「ここなら笑店街」ができた。去年秋、初めて訪れた。「ここなら」に比べると、こじんまりとしている。いわきでいえば、神谷のマルトくらいの規模だろうか。

 車で30分、とみていたら、5分ほど早く着いた。わが家から夏井川渓谷の隠居へ行くのとそう変わらない。店は午前11時に開店する。イオンで買い物をしたあと、入店した。テーブルが三つ、一角が座敷。仕切りをはさんだ壁側は見えなかったが、長いテーブルがあるのだろう。コンパクトなつくりだ。

従業員に頼んで代表に会うと、「黙って来てしまって……」。いやいや、こちらは開店のお祝いを言いたかっただけだ。コロナ禍の新規開業とくれば、勇気もいったことだろう。すでに1人、間もなく2人、さらに地元消防団の人たちが入って来た。それなりに定着しているようだ。私はラーメン、カミサンは担々麵を頼んだ。

東日本大震災から間もなく満10年。あのとき、双葉郡大熊・双葉両町にまたがる東電福島第一原発が津波で過酷事故を起こした。拙ブログによると、震災から半年後、わが家の周辺にも双葉郡から避難して来た人たちがたくさんいた。

大熊町のお年寄りは会津へ避難したが、雪おろしの季節を前にいわきへ再避難した。楢葉町から避難して来た老夫婦。広野町から避難し、四倉町にアパートを借りた女性は、ちょくちょくわが家へ顔を出した。緊急時避難準備区域の川内村の知り合いも、近所の県営住宅に部屋を借りた。わが家の後ろのアパートには、広野町の若い家族。市内久之浜町から避難した人も同じアパートに入った。

今はよそに移ったり、自宅へ戻ったりして、周囲から姿を消した。カミサンはパッチワーク用の古切れを介して双葉郡の人たちと交流があったが、私はほとんど縁がなかった。今も国道6号を北上して双葉郡に入ることはめったにない。

しかし、車で30分圏内に知り合いの店ができた。気軽に出かけられるポイントが見つかった――となれば、これも双葉郡の長い復興過程の小さな一コマにはなりうる、くらいのことは思っていいだろう。

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