家の中での転倒事故を防ぐこと――。今年(2021年)の「年頭の誓い」だ。老化で弱くなった足腰が、コロナ禍の巣ごもりでさらに弱くなった。するとますます、家の中にあるモノたちが「障害物」になる。正月三が日、さっそく階段で足をぶつけ、座布団でこけそうになった。
座布団のへりを踏みはずして、たびたびグラッとなる。こたつカバーも危ない。立ち上がったら爪先がからんで転びかけた。一方の足で支えられるうちはいいが、その足までぐらついたら、柱に頭をぶつける、手を痛める、といったことになりかねない。
なかでも段差は要注意。階段、板の間と茶の間の境の敷居、茶の間と玄関のたたき、台所の足カバー。頭の中では足を上げているつもりでも、実際にはイメージした位置まで上がっていない。階段や敷居に痛いほど爪先をぶつける。スリッパが足カバーをめくって前に倒れそうになる。玄関へ下りるのにそばの柱に手を添える。
先日は段差ではなく、大掃除で廊下に仮置きされていた額縁に足をぶつけて宙を飛びかけた。階段の柱に手を当てて転ぶのを防いだが、転倒したら膝か肘を打っていたかもしれない。
肉体は赤ん坊としてこの世に現れ、絶頂期を過ぎると衰えて老人になる。最後はまた赤ん坊に戻って自然に還(かえ)る。
足の運動能力はもはや幼児レベルかもしれない。自分の子どもや孫たちが幼児だったときの動きと比較する。同じ「よたよた」でも、幼児は真昼の輝きに向かって筋肉が鍛えられていく。老人はただただ夜の闇に向かって衰えていくだけ。幼児は転ぶたびにちゃんと歩いて走る力がたくわえられるが、老人は単にちゃんと歩けなくなったために転ぶ、という自覚は必要だ。
若いときは、これができた、あれができた――そういう絶頂期の話はわきに置くしかない。足腰が衰えるスピードにできるだけブレーキをかけること。散歩はドクターストップがかかっている。代わりに、巣ごもりしながらでもできる鍛え方はないものか。
10代後半に陸上競技部でやっていた準備運動のあれこれを思い浮かべる。「腿(もも)上げ」は、今はとてもできないが、そのやり方をイメージして駆け足に近い足踏みをする。50を数えるまでやる。それが息切れをしない限度。これを一日に10回繰り返せば500歩、20回やれば1000歩になる。
実行するのはこたつから離れたとき。立ち上がったらすぐ「早足踏み」をする。こたつに戻るときもする。それだけでも、やらないよりはまし。ズボンをはくとき、あまりぐらつかなくなったように感じるのは、この成果か。
ほかにも「家庭内事故」のもとはある。玄関のたたきにブロックを並べ、マットを敷いて踏み台にした=写真。上がり下りがスムーズになった。デイサービスに通っている義弟は「よいしょ」といわなくなった。
年をとるということには知的な老化も加わる。すると乳児がそうだったように、生理現象の問題も顕在化する。
自分でコントロールが難しくなったらどうするか。この前、カミサンと介護の話になった。胃腸が弱いうえに酒を飲む、とくれば、プライドは重荷になるだけ。「おれは、しろといわれたら、すぐおむつをするよ」
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