2021年1月1日金曜日

『ゲド戦記』テナーと吉野せい

                     
 吉野せい『洟をたらした神』の中公文庫版は、翻訳家・児童文学者清水眞砂子さん(1941年~)が解説を担当した。

 冒頭6~9行目。「三巻で終わるかと思っていた『ゲド戦記』の第四巻が十八年の間隔をおいてアメリカで出版され、翻訳の準備にとりかかったとき、さて、主人公テナーの台詞をどうするかと考え、あの作家、この作家の文体を考えて最後に行き着いたのが吉野せいだった」

 遅い結婚をし、共に暮らし始めた相手から彌生書房の『洟をたらした神』を渡された。「一気に読み、その文章の力強さ、深さ、繊細さに驚き、以来この本は私の最も大切な一冊になった」という。

 テナーは元巫女(みこ)、せいは「百姓バッパ」。別人格なのは当然だが、清水さんは「いつも吉野せいの目を、その息を背中に感じながら」翻訳を進めた。

 手元にある文庫の『洟をたらした神』は2015年1月に再版された。それから5年ほどたった去年(2020年)早春、カミサンが、吉野せいのことが書いてあるといって、移動図書館から借りた大島真理『図書館魔女は不眠症』(郵研社、2020年)を見せた。

 大島さんは元東北福祉大准教授(図書館学)で、『ゲド戦記』の原作者ル=グウィンに触れ(「ル=グウィン追悼」)、さらに清水さんから聞いた翻訳のエピソードを書いている(「再生芸術としての翻訳」)。そこに『洟をたらした神』の解説と同じ話が紹介されている。

「テナーの言葉を日本語として訳すとき、誰の言葉にしようかと考えた過程がとても興味深かった。巫女としての語り口、石牟礼道子、森崎和江、茨木のり子、と変遷し、最後にその精神性として『洟をたらした神』の吉野せいへとたどり着いたという」

 石牟礼も森崎も茨木も読んできた。芯の強さとしなやかさという点では、いずれも劣らない。しかし、清水さんが最後に吉野せいを選んだのは、解説にもある「ずっぷりと土着のようでいて異邦人。人を愛し、慈しみ、静かに、時に激しく生きて闘った人のことば」が『洟をたらした神』にはあったからだろう。

 こうなったら、『ゲド戦記』の4巻を読まなくては、テナーの話し方、そこから透けて見える精神、人生・暮らしに触れなくては――。

 実は、ここまでは去年2月末までにまとめた下書きを引っ張り出して清書した。このあと、『ゲド戦記 最後の書 帰還』(岩波書店、1999年=「最後の書」と副題があるのは旧版)を読んでいるうちに、感想を書き足すのを忘れ、そのままにしてしまった。

 師走の29日夜、NHKで「いつも“となり”にいるアニメ~最新作『アーヤと魔女』と歴代作品で見せるジブリの全て」を見た。ジブリ製作の「ゲド戦記」も取り上げていた。そうだ、『ゲド戦記』と吉野せいを下書きのままにしておくわけにはいかない。10カ月ぶりにまた図書館から『ゲド戦記 帰還』を借りてきた=写真(左は児童図書、右は英米文学コーナーから)。

 書き出しはこうだ。「中谷で農園をやっていたヒウチイシが死んだあとも、残された女房は農園を離れなかった。息子はとうに船乗りになり、娘もヴァルマスの商人と結婚して家を出ていたから、かしの木農園には彼女がひとりになった。なんでもこのよそ人(びと)の女房、生まれた土地では一目も二目も置かれていたとか。そういえば、大魔法使いのオジオンもかしの木農園にはきっと立ち寄っていた」

 その農園には羊のための牧草地がある。畑と梨畑がある。小作人の小屋と母屋がある。丘の上の墓地には一族の者と亭主が眠る。それらいっさいがテナーの手にあずけられている。

とくれば、「女房」はやはり吉野せいがふさわしい。すると、「ヒウチイシ」は夫の吉野義也(三野混沌)、「大魔法使い」は親友の草野心平――などと元日から妄想をふくらませたが、それは調子に乗り過ぎというものだ。正月休み、単純に物語として『ゲド戦記 帰還』を読もう。

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