車ですぐのインド料理店へ米の配達を兼ねて、カレーを買いに行った。はやりの言葉でいうとテイクアウトだ。
昼前に店を開け、ランチタイムが終わると、夕方5時に再開するまでひと休みする。これがいつもの営業形態だが、4時半ごろ行くと、店の前に看板が立っていた=写真。「ただ今/お持ちかえりのみ/ご提供中です」。店内での食事はストップしているのだという。1月いっぱいはそうするような話だった。
なぜ? 私もそうだが、コロナが近づいている、という危機感がある。コロナはウイルスだから目には見えない。が、発生が急増し、知っている場所でクラスターがおきるなど、感染が次第に可視化されつつある。そうした状況を踏まえて、テイクアウトだけに切り替えたのだろう。
いわき市は昭和41(1965)年に14市町村が合併して誕生した。当時は日本一の広域都市だった。小豆島を除いた香川県とほぼ同じ、つまりは市なのに小さな県並みの広さだ。
大きくは、夏井川流域(北部)と鮫川流域(南部)に分けられる。北部の人間にとって、南部の出来事はどこか遠いまちの話にしか思えない。しかし北部の出来事は、それがコロナなら即・自分の問題につながる。
コロナ感染に関する行政の発表は、「40代」など大まかな年齢・職業・性別にとどまる。一方で感染者が発生した場合、デマや中傷を避けるためにみずから明らかにする事業所もある。北部では、マルト四倉店、道の駅よつくら港がそうだった。
広野町へラーメンを食べに行った帰り、再開した道の駅へ寄って川内村でつくられた梅干しを買った。まちのスーパーで売っている梅干しは口当たりをよくするためなのか、甘酸っぱい。これがいやで、塩・赤ジソだけで鮮やかな赤紫色にする昔からの梅干しを買うようにしている。今は道の駅でしかお目にかかれない。
年が明けると、今度は同じ四倉の訪問看護ステーションでクラスターが発生した。場所を知っている、勤めている人間も知っている、ということもあって、一気にコロナ禍が身近になった。インド料理店がテイクアウトだけにしたのも同じような思いからだろう。
カレーをテイクアウトした晩、チビリチビリやりながら夕刊を見ていたら、「民家でクラスター発生』という見出しが飛び込んできた。20代の男女7人が家で会食したら、5人が感染した。
コロナ問題が深刻化して以来、2カ月にいっぺん、街で開いていた仲間数人の飲み会を、「家飲み」に切り替えた。2月の開催をどうするか、仲間と相談して1カ月延期を決めたばかりだった。
感染するリスクはできるだけ少なくする。それだけの話だが、万一感染してあらぬうわさやデマをふりまかれてもよろしくない。二重の意味合いがあって2月の「民家飲み会」は見送った。
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