ニュースでは報じられていたかもしれない。が、作家多和田葉子さんの「ベルリン通信」(1月26日付朝日新聞)を読むまで全く知らなかった。米国の製薬大手、ファイザー社とコロナワクチンの共同開発をしたのは、ドイツのベンチャー企業、バイオンテック社だ。同社を創業・運営しているのはトルコ系移民の夫妻だという。
多和田さんはシュピーゲル誌を引用して夫妻を紹介する。妻のテュレジの父親は1970年代にイスタンブールからドイツへ移って、地方の小病院で外科医として働いた。夫のシャヒンは4歳のとき、トルコからドイツへ移住した。父親は自動車工場で働き、家族を養った。シャヒンは医者になり、ドイツで生まれ育った医学生のテュレジと出会い、結婚する。
2人は2001年に最初の会社を、7年後にマインツという小さな町にバイオンテック社を起業し、癌(がん)や感染症の治療に取り組んできた。
ここからは、私が40歳前後のころの話――。外国、特にトルコからドイツへの移民が多いことを知る。その流れは、第二次世界大戦後の1960年代に始まる。ドイツ国内の労働者不足を補うためだった。
外国人労働者の受け入れには、難民受け入れがそうであるように、いろいろ問題が派生する。外国人労働者に対する敵意がある。外国人労働者もまた疎外感や差別感を抱く。
そのころ、外国のルポルタージュやコラム集を集中して読んだ。そのなかの1冊、ギュンター・ヴァルラフ/マサコ・シェーンエック訳『最底辺 トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ』(岩波書店、1987年)には衝撃を受けた。そのとき書いた文章を拙著『みみずのつぶやき』から引用する=写真。
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日本語に翻訳されている外国のノンフィクションは、大半がアメリカの作品といってよいだろう。ヨーロッパ、特にドイツの作品となると、そんなわけでめったにお目にかかれない。ところが、それにすごいものがある。
故ミヒァエル・ホルツァハの『これもドイツだ』。犬を連れ、1マルクも持たずに<自分自身>を探して街中をさまよい歩いた、半年間・2500キロの旅の記録である。文無しの放浪者に扮した彼の目に、祖国ドイツはどう映ったか。豊かな福祉国家の谷間、底辺からの報告がアメリカの軽いコラムを読み慣れた脳みそにショックを与える。
そして、ギュンター・ヴァルラフの暴露ルポ『最底辺』。カツラと色つきコンタクトレンズでトルコ人に変身した彼を待ち受けていたのは、民主主義国家ドイツの人種差別と人間軽視だった。ドイツ経済(広くヨーロッパ経済)をどん底で支える移民労働者たちの世界に潜入、先進社会の繁栄の影を鋭くえぐった問題作として、ドイツでは超ベストセラーになったという。
飽食ニッポン――その最底辺に忍び寄る同じ影。とりあえず、明治中期の下層社会ルポ、松原岩五郎著『最暗黒の東京』で、闇を見る目を鍛えてもいいだろう。ボブ・グリーンなんかは忘れて。(1988年12月9日)
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あそこで、ここで。コロナ禍が現実味を帯びて近づいている。だからこそというべきか、巣ごもりを続けている身には、移民夫妻の物語が闇を照らす灯台のように思われた。
宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言った。移民であろうとなかろうと、世界全体の幸福のために優秀な頭脳を使う、という点では、夫妻は賢治と同じ星を見ている。
きのう(1月27日)朝のテレビは、日本時間の同日早朝、世界のコロナ感染者が1億人を超えたことを伝えた。日本でも遅まきながら、ファイザー社など3社が供給するワクチンを確保し、接種を始める見通しがついた。
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