2021年1月29日金曜日

企画展「映画館の記憶」

        
 いわき市立草野心平記念文学館で企画展「映画館の記憶――聚楽館(しゅうらくかん)をめぐって」が開かれている=写真(図録)。3月28日まで。

 4年前の平成29(2017)年、平のティーワンビルがオープン15周年を迎えた。同ビルに入居する市生涯学習プラザは4階エレベーターホールとロビーの壁面を利用して、開館15周年の特別展「写真に見るいわきの映画館――娯楽の王様映画の記憶」を開いた。同ビルは、聚楽館の跡地を利用して建てられた。この特別展も見ているので、聚楽館の資料や写真を中心に構成した文学館の企画展には既視感があった。

 文学館でやる以上は「いわきの映画館と文学」といったコーナーもあるのかと思ったが、それはなかった。ここは自分で組み立てて(前にブログで書いたことを再構成して)、外野から勝手に企画展を補充することにする。

 吉野せいの短編に「赭(あか)い畑」がある。戦前・戦中、悪名をとどろかせた“特高”が登場する。せいの夫・混沌(吉野義也)が理由もなく特高に連行される。そんな息苦しい時代の物語だ。

 なかに、夫婦の友人である地元の女性教師が「子供を全部混沌に押しつけて私を誘い、夜道を往復二里、町まで歩いて『西部戦線異状なし』を見て来た」話が出てくる。せいの作品集『洟をたらした神』のなかでは唯一、せいが時間をつくって娯楽に興じる、なにかホッとさせられるエピソードだ。

『西部戦線異状なし』は1929年、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ出身の作家、エーリヒ・マリア・レマルクが発表し、世界的なベストセラーになった反戦小説だ。この作品を、翌年、アメリカのユニヴァーサル社が映画化した。

せいの作品の末尾には「昭和十年秋のこと」とある。これに引っぱられて遠回りしたが、図書館のホームページでデジタル化された常磐毎日新聞をめくっているうちに、昭和6(1931)年9月10日付(9日夕刊)の「平館」(掲載図録写真の一番上、右側)の広告に出合った。

広告には、「西部戦線異状なし」の上映は10日から4日間限り、料金は20銭とある。「エリック・マルア・ルマルケ 世界的名作の映画化」。人名表記が今と違うところがいかにも戦前の新聞広告らしい。

 次女梨花を亡くしてから8カ月余りたった時期だ。せいはまだ32歳で、新聞や雑誌の懸賞小説にも応募している。自分の創作のために、よりよい刺激を求めて女性教師の誘いにのったのだろう。9月10~13日で土曜日は12日だった。女性教師の仕事を考えれば、おそらくこの日の晩、2人は出かけた。

 広告を探索している過程でもう一つ、ソ連映画「アジアの嵐」が同6年3月9~11日、平館で上映されたのを知る。予告記事が同8日付に載っていた。

 活字になったせいの日記に「梨花鎮魂」がある。次女梨花の死の1カ月後、昭和6年1月30日に書き起こされ、4月28日まで書き続けられた、せいの赤裸々な内面の記録だ。

 3月10日の項に「渡辺さんへ顔出しして墓参に行って来た。梅の花真盛りであった。混沌ぶどう剪定。夕方から『アジアの嵐』を見に出平したが、見ないで帰って来た(略)」とある。「出平」したのはせいか、混沌か。

 せいは前々日、義兄方の祝儀で小名浜へ泊まり込みで出かけた。家を留守にしたばかりでまた夕方、映画を見に出かけるなんてことが、幼い子を抱えた母親にできただろうか。出かけたのは混沌だったのだろう。

平館は大正6年(1917)、活動写真専門の劇場として平・南町に開館した。近年は割烹金田が駅前から跡地に移転して営業していたが、震災後は海鮮四季工房きむらやいわき店に替わった。

0 件のコメント: