きのう(1月3日)の続き――。元日の新聞には毎年、広告も含めて刺激を受ける。今年(2021年)は地球温暖化とパンデミックのさなかにある新型コロナウイルス問題の記事が目に留まった。
温暖化もコロナもからみあって存在している。原発事故もそうだ。「文明の災禍」(哲学者内山節)といってよい。世界史・日本史・郷土史ごちゃまぜでいい。100年の時間軸で、身の回りでできることを考える。新聞はその材料を提供する。
大正からのこの100年でいえば、第一次・第二次世界大戦、ロシア革命、米騒動、関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災があった。世界を、日本を揺るがした自然災害も戦争も革命も、遠い地域の、遠い過去の話ではなくなる。スペインインフルエンザ(スペイン風邪)はコロナ禍の今、特に身近な“教材”だ。少なくとも100年の教えに学べば、暴飲・放談にはブレーキがかかる。
元日付の朝日2、3面は4段ぶち抜きの書籍広告だった。3面の文藝春秋は、作家で創業者の菊池寛の文庫本『マスク』1冊を宣伝した。「ちょうど百年前の世界もパンデミック禍に襲われていた。スペイン風邪である。社の創業者である作家の菊池寛は『マスク』(『改造』大正9年7月号)という掌篇を発表する」
いわき市立図書館のホームページで確認すると、「マスク」の収録本はない。文庫本だから安い。小遣いで買える。おととい(1月2日)、ラトブの総合図書館へ行ったついでに、3階のヤマニ書房で手に入れた=写真。「スペイン風邪をめぐる小説集」と銘打ってある。
今の日本と同じように、100年前の日本でもマスクは欠かせなかった。菊池寛(1888~1948年)は見た目より体が弱かった。心臓に疾患を抱えていた。基礎疾患のある高齢者は罹患すると重症化しやすいという。「マスク」を発表した当時、菊池は32歳だったがそれでも極度に罹患を恐れた。
「流行性感冒」(スペイン風邪)が猛烈な勢いではやりかけたころ、「自分は、極力外出しないようにした。妻も女中も、成るべく外出させないようにした。そして朝夕には過酸化水素水(筆者註:オキシドール)で、含嗽(うがい)をした。止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。そして、出る時と帰った時に、丁寧に含嗽をした」。
冬から春になり、5月に入った。「遉(さすが)の自分も、もうマスクを付けなかった。ところが、四月から五月に移る頃であった。また、流行性感冒が、ぶり返したと云う記事が二三の新聞に現れた」
シカゴの野球団が来日し、早稲田との試合があるというので、運動場へ出かける。入場口の近くで黒いマスクをした若い男に追い越された。そのとき「自分」は憎悪を感じた。なぜか。自分がマスクをしなかったことによる自己本位的な「弱者の反感」からだったと自覚する。そういう心理のゆらぎを活写した短編だ。
黒いマスクは11年前、学校仲間と台湾を旅行したときに初めて見た。マスクといえば白、と思い込んでいた人間には、黒いマスクは異様なものに映った(今はすっかり慣れてしまった)。震災の翌年訪れたベトナムのハノイでも、台北同様、道路にバイクがあふれていた。台北と違ってほとんどの人がマスクをしていた。
100年前も今も人間の心理は変わらない。10年前もそうだった。原発が事故を起こすと、不要不急の外出は避ける、外出時にはマスクを――という緊急事態になった。
その年の4月下旬、東京・代々木のアースデイの会場を訪ねた。来場者はほとんどマスクをしていなかった。いわきと東京の落差に驚き、電力消費地の鈍感さに怒りと悲しみを覚えた。菊池寛ではないが、「2011年春のマスク」なら書けるか。
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