いわき市北部の平地、川でいうと好間川、新川を含む夏井川水系に浸水被害が集中した。わが家のある平・中神谷は無事だったが、上流の平・平窪、同・赤井、好間地区などでは、床上浸水が広範囲に及んだ。SNSの情報をつなぎ合わせると、被害の甚大さがわかる。
冠水地区の平窪に平浄水場がある。いわき市北部の基幹施設だ。ここも浸水した。きのう(10月13日)朝、間もなく断水する――という情報が入ったので、急いで風呂の水を抜き、新しい水をためた。いざとなったらこれを飲み水その他に使う。
カミサンの友達が100歳を越えた母親と平窪に住んでいる。カミサンが見舞いの電話を入れると、台風19号の襲来に備えて早めにマチのホテルに避難した、という。その後、自宅は床上浸水をした。1週間はホテルにとどまるようだ。
母親には毎日必要なものがある。年を取るとみんなそうなる。車のない友達に代わって、カミサンが買い物をしてホテルに届けた。アッシー君を務めた。私らが出かけるときには、まだ水道は機能していた。帰宅すると、一滴も出なくなっていた。
浸水と断水、だけではない。ヘリコプター=写真・上1=まで飛んでいる。夏井川に沿って往復していた。8年半前の原発震災を思い出す。あのとき、水道も断水した。あのときと同様、ゆうべはおかずの皿にラップを敷いた。3・11の知恵で、食器を洗う手間を省く。
そういえば、きのうは朝刊が届かなかった。これも同じだ。(今朝、おわびのチラシとともに、2日分が届いた)
午後になると、双葉郡から原発避難をしている近所のおばあさんがやって来た。この8年ほど、わが家に出入りしている。カミサンとは今や、茶飲み話をする友達の一人だ。法事で出かけていたので、断水を知らなかった。当然、備えはしていない。
ちょうど店で売る米を補充するため、本店(カミサンの実家)へ行く用事があった。ついでにスーパーへ寄って、おばあさんの水と食料を調達することにした。が、水はすでに「売り切れ」の表示。代わりにお茶のペットボトルを数本、温めるだけで食べられる食品をいくつか買った。これも、あのときと同じだ。
スーパーへ行くのに平六小の前を通る。校庭に給水車が来ていて、人の列ができていた=写真・上2。こちらはポリタンクも何も持っていない。素通りするしかなかった。
本店では、水道が生きていた。私らの地区は平浄水場の水だが、本店の方は好間・上野原の浄水場から水がくる。空いているポリタンクもあるという。三つに水を入れ=写真・下、一つをおばあさんの家へ食料とともに届けた。
あのとき、水道は半月近く断水したままだった。本体の浄水場は大丈夫だった。今回はその本体がやられた。復旧のめどは立っていない。浴槽はいっときの水瓶。あとはポリタンクで水を調達しないといけない。
風呂はカミサンの妹の家のを借りることにした。洗顔、ひげそり、歯磨き……。カミサンも洗濯と日に三度の料理がある。
行きつけの魚屋さんは断水前、桶に七つほど水をためた。おかげで「日曜日はカツオの刺し身」を食べることができた。たまたまだが、それでカミサンはゆうべ、料理をせずにすんだ。(あちこちで断水のために一時休業をしている店が見られた)
人々は水・電気・ガスのライフラインを前提にして日々の暮らしを営む。それがいかに大切なものかを8年半前に学んだ。今度はそのルーティンから水が消えた。地域には独り暮らしのお年寄りが少なくない。日を追って不便さが増す。ゆうべはそれで、近所の別のお年寄りに少し水を分けた。トイレの水が足りない、と嘆いていたそうだ。互助の精神だけでは限りがある。
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