次から次にいわきの上空で水桶がひっくり返される。あっという間にあちこちで川が増水する。それほどきのうの雨は短時間に集中して降った。「風呂に水をためようか』とカミサン。「いいよ」。そういって、ゆうべは床に就いた。(平浄水場ではそれなりの対策をとっているはず――単なる希望的観測にすぎないが、けさ、蛇口をひねると勢いよく水が流れ出た)
日中は、雨が降ってもまだ動き回ることができた。朝はカミサンと介護を必要とする義弟を病院へ送り届けたあと、店番をしながら仕事をした。昼過ぎ、いったん2人を迎えに行き、さらに午後遅く、義弟の薬をもらいに病院近くの薬局へ出かけた。新川はまだ細い流れだった。そのころからだんだん雨脚が強まり=写真上1、暗くなるにつれて土砂降りになった。
夕方、副区長さんから電話が入る。「家の向かいのお年寄りから避難所を聞かれた」という。私も防災メールとフェイスブックで情報を取るだけだから、定かではない。が、最寄りの避難所は最初、夏井川を渡り、平市街を過ぎた高台の平一中だった。地理的にも心理的にも遠い。
やがて川のこちら側、同二中にも開設された。地元の公民館や小学校が避難所になるものと住民は思っているが、そうではなかった。平地にあって浸水の心配がないわけではない、というのが、理由だろう。わが家では、いざとなったら2階への「垂直避難」を、と決めた。
この2週間、非日常の日常が続く。そこへまた大雨の不安がかぶさった。それでも、やらないといけないことがある。糠床をかきまわす。これを怠るわけにはいかない。
きのうはまた、大根をブツッ、ブツッと切り、せんぎりにしてキャベツを加え、浅漬け容器に入れた。おとといは、友人が持ってきてくれたウラベニホテイシメジを裂いて「しめじご飯」にした=写真上2。浸水したら「最後の晩餐」だが、現実には原発震災後、初めて味わうほろ苦さだ。大雨に閉じ込められても、気持ちまでふさいではいられない。朝の食卓には一品、浅漬けが増える。
低気圧が通り過ぎたけさ、家の周りを見ると変化はない。気象庁のホームページでデータをチェックする。きのうの降水量は、小名浜で193ミリ、鮫川水系の山田町で158ミリ、夏井川水系の上流、川前では意外と少なくて62ミリ、さらに上流の田村郡・小野新町では45.5ミリだった。大雨は平地、なかでも沿岸部を直撃した。
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