2019年10月23日水曜日

台風19号⑪水が出た

 きのう(10月22日)昼前、9日ぶりに水道が復活した。家の外の立水栓から屋内の風呂、台所と順繰りに蛇口をひねる。勢いは弱い=写真下1。でも、とにかく水運びからは解放される。けさはまだ白濁しているが、どの蛇口からも勢いよく水が流れ出した。
8年半前の東日本大震災のときにも実感したことだ。「当たり前の日常」は、実は「当たり前」ではない。開高健の「野原を断崖のように歩く」をもじれば、断崖を野原のように歩いている――断崖が日常の本質なのだ。いつ転げ落ちるかわからない。

10月12~13日にかけて福島県を通過した台風19号の影響で、夏井川が数カ所ではんらん・決壊し、平・平窪にある平浄水場が浸水した。それから間もなく、いわき市北部の上水道が止まった。

朝は、洗面器に少し水を入れて顔を洗う。ご飯を食べたあと、コップ半分の水で歯を磨き、口をすすいで歯ブラシを洗う。ご飯とおかずは、ラップを敷いた皿で食べる(“皿ラップ”から連想するラップがあるが、いわきなので使っているのはクレラップだ)。食事が終われば、ラップをはがして燃えるごみ袋に入れる。皿はそのまま次の食事に使う。これが断水後の、わが家の非日常的日常だった。

高度経済成長期前なら、農山村はどこでも井戸水か沢水を生活用水に利用していた。水をくみに行くのは子どもの仕事だった。

わがふるさと・常葉町(現田村市常葉町)でも、隣村・都路(同市都路町)の祖母の家でも、事情は変わらない。祖母の家は鎌倉岳(967メートル)の東南麓にあった。水は樋で引いた沢水を利用した。泊まりに行くと、桶で水運びをさせられた。

食事はめいめい自分の箱膳を出し、終えると茶わんにお湯を注ぎ、たくあんのあるときはたくあんで茶わんの内側をこする。それで、ひとまず茶わんがきれいになる。残ったお湯とたくあんは胃袋へ――これが当時の“食器洗い”だった。

テレビ番組にならえば「ポツンと一軒家」、さらに離れてまた一軒家があるような山中である。祖母が一人で住んでいた。電気がないので、夜の明かりはランプだ。部屋の壁に映る自分の影がべらぼうに大きくなる。小学低学年のころは、これが怖かった。

かやぶき屋根の一軒家は、今は杉林に替わった=写真下2(グーグルアース)。過疎化・高齢化が進み、原発事故が追い打ちをかけた。杉林も田んぼもこのまま荒れて寂しい自然に帰るだけなのだろう。 
  9日間に及ぶ断水生活では、台所に食器を運ぶたびに、この「ポツンと一軒家」の暮らしを思い出した。そのときの体験と知恵が記憶の底に残っていたこともあって、あまりじたばたせずにすんだ。

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