平・平窪に家がある。路上からは1.5メートル以上、床上では1メートル近く浸水した。お母さんは足が悪い。台風が来る前に避難したからよかったものの、そのまま平屋の家に残っていたら……。考えただけでもぞっとする。
浸水した地域では、水につかった家電や家具、衣類その他の運び出し、泥かきが続く。カミサンの友達の家にも、知り合いの業者だけでなく、友人・知人が搬出の手伝いに来た。別の日には高校生ボランティアが入った。
東日本大震災のときもそうだったが、非常時になるとカミサンのエンジンがかかる。私もアッシー君をやらないわけにはいかなくなる。
きのうの日曜日は、いわきのまちをきれいにする秋の市民総ぐるみ運動の最終日「清掃デー」(市内の全家庭周辺が対象)だった。台風19号の余波かどうか、自己判断で早朝の作業を中止する人が多く、指定の集積所に出たごみ袋の数は例年の半分以下だった。
燃やすごみ・燃やさないごみ・道路側溝の堆積土砂と、3種類に分けないといけない。交付されたはがきにそれぞれの袋の数字を書きこんで市に報告する。それが終わってから、仮住まいのマンションまで友達を迎えに行き、平窪の自宅で片付け作業を手伝った。
必要なものは少しずつ持ち出している。まだなのが本の“救出”だ。友達のお父さんは高校の先生だった。書棚にハードカバーの重厚な本がずらりと並んでいる。
一番下の列は水につかった。その上段、『群書類従』は台湾へも持って行った。日本の領土だった同地で、若いころ、教師をしていたのだろうか。お母さんにとっては夫を偲ぶ遺品でもある。それを何冊かずつ束ね、車のトランクに積んで=写真=マンションへ運んだ。わが家へもダンシャリで出た衣類、食器などを運んだ。
合間に、内郷の回転ずしの店で昼食をとった。ラップなしで皿のすしを食べ、かに汁をすすった。日曜日だから、夜はカツオの刺し身で一杯。マイ皿は洗うのがもったいないので、持っていかない――そんなことを考えながら、量は控えめに、しかし昼にしてはぜいたくな食事になった。
夕方には手伝いを終えた。魚屋さんへ直行するとシャッターが下りている。1週間前、水をたたえた桶が二段重ねにしてあった。その水が切れれば、商売も休まざるをえない。こちらはなんとか水を確保しているだろうと、淡い期待を抱いていたが、現実は厳しかった。
浸水を免れた地域では、「断水休業」中の店が少なくない。コンビニはあいているが、「断水のためトイレは利用できません」の張り紙が。薬をもらいに行った診療所もそうだった。食事、トイレ、風呂……。断水地域でもストレスがたまりつつある。
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