半藤さんは文藝春秋に入り、同社の週刊文春、文藝春秋各編集長、専務を経て、作家に転じた。主に昭和の「歴史探偵」として旺盛な執筆活動を展開している。
昭和40(1965)年、終戦20年の節目に公刊され、映画にもなった大宅壮一編『日本のいちばん長い日』は、実は半藤さんが書いた。終戦50年の節目の年、大宅夫人の許可を得て自分の名義に戻し、『日本のいちばん長い日
運命の八月十五日 決定版』を出した。戦前・戦中のメディア(新聞・ラジオ)の動きを探る上で、半藤さんの本は欠かせない。
「歴史探偵おぼえ書き」は今回が最終回だ。筆を擱(お)く理由が身につまされる。半藤さんは今年(2019年)、89歳。酒を飲めば「槍(やり)でも鉄砲でも持ってこい、女房なんて怖かあないや!」とやってきた。
ところがある夜、「年齢(とし)を忘れてかなり千鳥足」になり、シェークスピア劇の歌をうたいながら歩いていると、「石にでもつまずいたのかすっ転んだ」。結果は全治2カ月以上の右足大腿骨骨折で、「ベッドにドデンと横たわるだけの身になった」。
この文章を読んだ日、夕方から夏井川渓谷の隠居でミニ同級会が開かれた。飲むほどに酔うほどに「槍でも鉄砲でも……」となるところだが、1年前、ほぼ同じメンバーで、同じ隠居でミニ同級会を開いたとき、酔って足がもつれ、茶の間の二月堂机のへりに胸をしたたか打ちつけた。あとで整形外科医院に行くと、ろっ骨が1本折れていた。全治50日――。
今度もまた酔ってすっころび、ろっ骨を折ったらシャレにもならない。そう思っていたところへ、敬愛する半藤さんの大腿骨骨折だ。“悪夢”が痛みを伴ってよみがえった。
ビール、日本酒、焼酎(田苑)。刺し身。そして、ラグビーの日本勝利。時がたつほどにボルテージが上がる。しかし、奥さんに関しては毎回、「怖かあないや!」となる代わりに、ぐちぐちと品評が繰り広げられる。
奥さんに関しては、こういう考え方もある。孫がいる年になってみると、「2人で1人」という思いが強い。忘れ物が増える。奥さんがなんとかそれをカバーする。古いセーターはほころびやすい。それと同じで、1人ではほころびを防ぎきれない。人生の日暮れを迎えた今、「2人でやっと1人前」に変わった。けむたいとか、怖いとかを越えて、相互扶助の福祉的なパートナーになったのだと。
一夜明けて、仲間がつくったうどんを食べ、9時半にはみんな、奥さんのいるわが家へと帰っていった。
アルコールをかなり自制したせいか、頭はすっきりしている。2時間ほど家の中を片づけたり、土いじりをしたりしたあと、雨戸を閉めた。ジョロウグモが軒先に大きな網をかけている=写真。雌の上方に小さな雄がいる。雄はうかつに近づくと雌に食べられる。人間の奥さんはやはり、いるだけでありがたいではないか。
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