大内寿美子さん、100歳。記事によると、10月13日午前3時ごろ、一緒に住んでいた次女(68)が自宅1階の浸水に気づいた。「雨がやみ、休んでいたところ、夏井川の氾濫によって、自宅の周囲は浸水。不意に使わなくなって久しい『お母さん』と3回叫んだが、水が1階の天井近くまできて行く手を阻んだ」
いわきの近代文学史をひもとくとき、与五郎さんを抜きにして短歌を語れない。与五郎さんは茨城県出身で、通商産業省(当時)管轄の平石炭事務所に勤務した。昭和44(1969)年にはシベリア抑留体験を詠んだ歌集『極光の下にて』で第13回現代歌人協会賞を受賞している。さらに同49年、いわき歌話会発行の『常磐炭田戦後坑夫らの歌』を編集した。
与五郎さんの娘さんは、私と同じ福島高専に学んだ。2学年ほど下だった。テニス部で活発に動き回っていた。寮の後輩からか陸上競技部の後輩からか、今となっては定かではないが、彼女の同級生たちが大内家を訪ねて父親の歓待を受けた話を聞いた記憶がある。陸上のほかに文学にも引かれていたので、一種の道標として与五郎さんの人となりには興味があった。
台風19号では、平窪の下流、平・幕ノ内でも97歳のお年寄りが自宅から流され、3日後の16日、1キロほど下流の平・鎌田地内で遺体となって発見された。内桶光江さん。高専の後輩の母親だった。後輩のお兄さんも一緒に流され、4キロ先で救助された。聞くところによると、すでに火葬はすませた。病院に運ばれたお兄さんもやっと退院した。葬式はこれから、ということになる。
大災害が起きるたびに思うことだが、人の命は何万分の1、何千分の1ではない、1分の1だ。個別・具体の人生が集まって全体の死者数になるのだ。
東日本大震災では、1万5897人が亡くなり、2533人が行方不明になっている(2019年3月7日警察庁発表=朝日新聞)。今も継続しているいわき市災害対策本部の週報(10月23日現在)によると、市内の死者は467人(うち関連死137人)。生き残った知人の話などから、会ったことはないが何十人かの個々の命・暮らしを想像することはできる。
今度の台風19号では、全国で88人が犠牲になった。それだけではやはり統計にすぎない。被害の規模はつかめても実相はわからない。身近な地域で親戚や友人・知人が被災した。亡くなった人もいる。メディアの実名報道によってようやく個別・具体の人生に触れることができた。
「100人の死は悲劇だが、100万人の死は統計だ」(アイヒマン)。この冷血的言辞を打ち砕くためにも、物事を個別・具体で見る姿勢が大事になる。
0 件のコメント:
コメントを投稿