年々、ツバメの巣を見る機会が減っている。今年(2023年)は6月の初め、某所で初めて遭遇した=写真。親ツバメが盛んに出入りしていた。
近くに4階建ての県営住宅がある。月に3回、担当する棟に回覧資料を届ける。1階出入り口の戸が閉まっていることが多い。
蒸し暑い今の時期、戸を閉めているのはツバメ対策だ。ガラス戸を開けておくと、南から渡ってきたツバメが中に入り込み、階段付近に巣をつくる。すると、フン害が発生する。
前にも紹介したことがあるが、去年の秋は1階出入り口に、コウモリに注意を促す張り紙をしている棟があった。
建物の中に入ってくるので玄関の戸をちゃんと閉めてほしい――。別の棟の出入り口には、まだツバメのイラストが張ってあった。コウモリについても、理由は同じだろう。
ただし、各棟とも1階入り口のそばに、オープン状態のスペースがある。そこにツバメが巣をつくり、床がフンだらけになっていることもあるから、県営住宅生まれのツバメはけっこういるのではないか。
7月最初の回覧を配ったとき、ある棟のそばでツバメが何羽も飛び交っていた。空中で一瞬、ホバリングしながら、「プチュ、プチュ」鳴き交わす個体があった。親と子か。ツバメの巣立ちを連想させる動きだった。
昔の田舎は一筋町が多かった。それぞれの家の軒先にはツバメの巣。初夏になるとツバメが通りを飛び交っていた。それこそ「ツバメのすむ町」になった。
草野心平のふるさと、上小川の一筋町もそうだった。「ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは……」と続く一筋町を初めて通ったのは昭和39(1964)年、15歳の夏――。ツバメが家ごとに営巣していた。
高専の寮に入って最初の夏休み初日、福島市出身の先輩・同輩3人と「徒歩帰省」を敢行した。初日夜に雨に見舞われたこともあって、2日目で計画を断念し、ヒッチハイクをして磐越東線夏井駅から汽車で帰省した。
毎週日曜日、夏井川渓谷の隠居へ行った帰りにこの通りを利用する。ここでも古い家が解体され、木造2階建てでも1階に軒下のない建物が増えてきた。ツバメには住みにくい環境になった。
日本野鳥の会がホームページに載せている「ツバメの現状」によると、環境省の調査で繁殖数の減少が顕著になった。
1974~1978年と、1997~2002年の比較では、たとえば大阪府吹田市の場合、繁殖が3分の1に激減した。
考えられる理由は、一つには里山の自然が宅地化され、水田や耕作地が減って、えさとなる虫が少なくなったこと。そして、もう一つは上述したように軒下のない西洋風建物が増えたことらしい。
勢い、ツバメたちは新しい建物の換気口などを利用して巣をつくることになる。アップした写真の巣もそうだった。
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