2023年11月30日木曜日

モダンガール

           
  いわきは現代詩に通じる口語自由詩の発祥地の一つ――と思い定めているのは、日本聖公会の伝道師として磐城平にやって来た詩人山村暮鳥(1884~1924年)が、この地で詩集『聖三稜玻璃』をまとめたからだ。

暮鳥は大正元(1912)年9月から同7年1月までの5年3カ月間、平で過ごした。この間、詩誌を出し、地元の文学青年に発表と交流の場を提供した。

暮鳥のまいた詩の種はやがて芽生え、開花する。そこから三野混沌(吉野義也)、猪狩満直、草野心平、そして作家の吉野(旧姓・若松)せいらが育った。

私は、暮鳥を軸にした文学の勃興を「大正ロマン」の一環としてとらえている。それを根っこに、昭和に入ると「詩人がうようよと出てきて、平はまるでフランスのどっかの町ででもあるかのやう」(三野混沌)な状況になる。これなどは一種の「昭和モダン」の姿ではなかったろうか。

というわけで、およそ100年前のいわきを振り返るときには、「大正ロマン・昭和モダン」という視点を欠かせない。

ただし、これはあくまでも歴史的な評価に頼っているだけで、平の町にどんなモダンボーイが、モダンガールがいたのかとなると、実はよくわからない。

火曜日(11月28日)の朝ドラ「ブギウギ」で、淡谷のり子をモデルにした茨田りつ子が、大日本国防婦人会の面々に派手な服装をなじられる。

すると、「これが私の戦闘服、丸腰では戦えない」と応じて、その場を悠然と立ち去る。戦時色が濃くなる前なら、それこそ「モガ」として注目を集めたいでたちにはちがいない。

最近知った昭和前期の詩人左川ちか(1911~35年)も、私生活ではモダンガールの一人だったという。

川崎賢子編『左川ちか詩集』(岩波文庫、2023年)を読んでから、図書館にある島田龍編『左川ちか全集』(書肆侃侃房、2022)を読み、さらに川村湊・島田龍編『左川ちか モダニズム詩の明星』(河出書房新社、2023年)=写真=を読んだ。

左川ちかの詩作品そのものに驚いたのがきっかけで、当時の文学(いわきの詩風土に関係する人間とのつながりの有無も含めて)を広く知りたくなった。

今のところ、これといった手がかりは得られていないが、いわゆるモダンガールとしての左川ちかが、歴史の彼方からこちら側へ向かって歩いてくる――そんなイメージが膨らみつつある。

『左川ちか モダニズム詩の明星』は、「海の町余市に生まれ、十勝の内陸地本別に育ち、ハイカラな小樽で少女期を過ごし、銀座のモダンガールに変成した」(島田龍)と記す。

「銀座のモガ」の具体的なイメージを探ると――。自分でデザインした黒いビロードのスカート、広いリボンのついたかかとの高い靴、黄金色の指輪、水晶の眼鏡、黒いベレー帽といういでたちだった。茨田りつ子同様、それが左川ちかの「戦闘服」だったのだろう。

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