2024年4月10日水曜日

台湾東部沖地震

                     
 台湾を2回、高専の同級生と訪ねた。最初(2010年9月)は台北周辺。台湾高鉄(新幹線)で南部の高雄まで行く予定だったが、台風の直撃を受けて運休したため、台北から基隆一帯を巡った。

2回目(2015年2月)は新幹線に乗るために出かけた。行き先はむろん高雄。途中、日月潭に寄った。

3回目(2017年10月)は台北から高雄へ一気に南下したあと、東海岸を北上した、といいたいところだが、私は急な用ができて参加を断念した。「おまえが提案したのに」。ほんとに申し訳ないことだった。

3回目も3泊4日とコンパクトな日程だった。事前に届いていたスケジュール表によると、台東~花蓮~基隆と東海岸を列車で移動する。

泊まるのは高雄・花蓮・台北。二度目の故宮博物院見学が入っていた。表にはないが、基隆近くの九份も再訪する、ということだった。

 東海岸も旅した仲間は、4月3日に起きた「台湾東部沖地震」について、いろいろ思いをめぐらせていることだろう。

 最大震度は花蓮県で6強。ビルの1階部分がつぶれたり、太魯閣(たろこ)渓谷ではあちこちで落石や土砂崩れが起きたりした。入渓していた観光客が一時、取り残された。

 台湾もまた地震多発島であることを知ったのは2回目の旅行のときだ。そのときのブログがあるので、要約・再掲する。

――台湾観光2日目の2月7日は台北市から台中市へ新幹線で移動し、南東の山中にある湖、日月潭(標高748メートルだとか)へ観光バスで直行した。

台湾中部は1999年9月21日午前1時47分、直下型の大地震に襲われた。ネットで検索すると、「921大地震」とも「台湾中部大地震」とも出てくる。

日月潭の西のふもとにある川(濁水渓)沿いの町・集集鎮付近が震源地だった。2400人余が亡くなり、建物約8万棟が倒壊したという。周辺の山々は崩れてはげ山になった。「山津波」が同時多発したようなものだろう。

 ガイド氏に大地震の話を聞いたので、バスの窓から川沿いの風景に目を凝らした。大地震から15年たっていたこともあって、その傷跡を探すのは難しかった。

日月潭の観光名所、玄奘寺と文武廟=写真=も被災したが、ここでも修復がなされていた。

 台湾は小さな島なのに、南北にのびる山脈は玉山(日本統治時代は新高山=3952メートル)をはじめ、3000メートル以上の山だけでも166座ある。

そのワケは、大陸側のユーラシアプレートと海側のフィリピン海プレートがせめぎ合って隆起してできた陸地だから、らしい。こんにゃくを両側から押すと真ん中が盛り上がる。それと同じ、と考えるとわかりやすい。

 921大地震の際には、日本からいち早く救援隊が駆けつけた。義援金も群を抜いていたそうだ。その恩義に報いようと、東日本大震災では巨額の義援金が寄せられた――。

 渓谷の規模こそ違え、東日本大震災では夏井川渓谷でも落石と土砂崩れが多発し、岩肌がむきだしになった。

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