2024年4月11日木曜日

生活季節観測

                             
 「生物季節観測」があるなら、「生活季節観測」もあるのではないか。検索すると、あった。

 確かにあったが、しかし、すでに過去のものだった。ストーブや水泳の初日・終日などを、気象庁がかつて調べていた。

 生活季節観測を意識するようになったのは2月20日の「暑さ」だった。小名浜と山田町ではこの日、最高気温が22.5度に達した。むろん今年(2024年)の最高だ。山田はこれに「2月の観測史上最高」が加わった。

この冬初めて、朝から石油ストーブをつけずにいた。こたつの電気マットもオフにした。2月としては記憶にない。たぶん初めてのことだ。

 真夜中、布団の中に熱がこもって寝苦しくなり、それで目が覚めた。茶の間へ行くと、室温は19度ちょっと。寒さは全く感じなかった。

ブログをアップしたあと、再び寝床にもぐりこんだが、やはり熱がこもって寝苦しい。タオルケットを1枚はずすと、なんとかいつものぬくもりに戻った。その延長で日中、気温が上昇した。

 2月20日は今年最初に石油ストーブをつけなかった日――。生活季節観測的にいうと、そうなる。

 その後も寒暖の波は続いた。3月に入ると、かえって寒いくらいになった。灯油を買いに行くたびに、2月より消費量が多いのでは、などと思った。

 初めて蚊に刺された日を記録している。これも生活季節観測の一つにはちがいない。一面では生物季節観測だが、人間の暮らしに比重を置けば生活季節観測になる。

 若いころから「天気と暮らし」「自然と人間の関係」に興味があった。新聞記者になると、「二十四節気」や俳句の季語に親しんだ。

 季節の巡りがニュースになり、コラムの材料になる。基本は地元気象台の生物季節観測だが、それだけでは暮らしと季節の関係が表現しきれない。

 というわけで、個人のデータとして「初めて蚊に刺された日」を記録するようになった。それはしかし、初夏。冬から春にかけては、生活季節的な意識はなかった。

夏井川渓谷の隠居では、それこそ生物季節観測と生活季節観測が一体になったような事象に事欠かない。

 一年中、畑にネギがある。冬は採種用として十数本を残す。4月7日の日曜日に見ると、そのネギから花茎が伸び始めていた=写真。辛み大根もそれぞれ花茎を伸ばし、花を付け始めたものもあった。

 これらは、私が植えたり、種をまいたりしたものだ。自然そのものではない。人間がかかわった作物である。その意味では、花茎の観測は生物的でもあり、生活的でもある。

 生活季節観測という言葉を知って、あらためて思ったのは――。私がブログに書いていることは、生活季節的なことが多いということだった。それは、いわきを中心にした歳時記でもある。

 実際、俳句歳時記は京都の季節の移り行きを中心につくられた。地方には地方の俳句歳時記があっていい。生物であれ、生活であれ、季節観測を重ねれば重ねるほど、そんな思いを強くする。

0 件のコメント: