2024年4月3日水曜日

佐多稲子の初期作品

                              
 『放浪記』で知られる林芙美子(1903~51年)の女給時代のことを、前にブログに書いた。

同じ作家仲間の佐多稲子(1904~98年)や平林たい子(1905~72年)も、若いときに女給を体験している。

 作家や詩人をめざしながら、食うために女給の仕事をした。女給は人生の踏み台だったのだろう。

 女給・林芙美子の流れのなかで、佐多・平林の女給時代を知りたくなった。それぞれの全集が図書館にある。各1冊を借りて読んだ=写真。

 若いころはともに、プロレタリア作家として位置づけられていた。が、私が日本文学に引かれはじめた若いころ、ご両人はすでに大家になっていた。

 遠いところにいる人という思いもあって、作品を読んだことはなかった。当然、女給時代のことは知るよしもない。

 今度初めて初期作品や回顧録に触れて、激動の青春を過ごしたことを知った。佐多稲子の女給体験をつづった「レストラン洛陽」がある。川端康成が激賞したという。

まずはこれを読む。女給たちの人間模様がつづられていた。初出誌は「文藝春秋」の1929年9月号で、当時のペンネーム「窪川いね子」で作品を発表した。

平林たい子の方は「自伝・回想・日記」の章に収められている「向日葵――我がどん底半世紀――」に当たった。

女給には向いていなかったのだろうか。「画家のY氏の知人のカフェで女給になった。が、私が出れば酒が売れないとか、客が沈んで浮かれないとかいう理由で断られた」

それでもカフェ勤めを続ける。林芙美子とも知り合う。そんな大正末期から昭和初期のカフェ体験記がつづられる。

ざっと100年前の社会の底辺を描写しているが、現代にも当てはまりそうな印象を受けた。

右肩上がりの経済が止まり、新自由主義経済が大手を振って歩き回り、いつの間にか日本は安く、貧しい国になってしまった。

非正規雇用が増えた、ひとり親が増えた、満足に食事をとっていない子どもがいる……。そんなニュースに接するたび、これから日本はどうなるのかと心配になる。

そんな時代状況が、ほんとうは古臭く感じるはずの「プロレタリア文学」作品を、現代にも通じるような感覚にさせるらしい。

佐多稲子の作品に、400字詰め原稿用紙でわずか6枚程度の超短編「一銭の話」がある。

男が夜、家路を急いでいると、後ろから見知らぬ男の子がついてきた。学校で遊んでいたのだという。

父と姉がいる。父は働きに行って帰って来ない。勤めている姉が帰るのは夜も更けてから。母は田舎でほかの子どもたちの世話をしている。

男の子は朝ご飯を食べたあとは、昼も夜も食べない。それでも、腹は空かない。代わりに1銭を持っていて、お菓子を買って食べるのだという。

やがて、子どもは別の小道へと消える。その後ろ姿に男が「さよなら」と声をかける。「さよなら」と男の子の声がかえってくる。救いのない話だが、最後の最後にポッと明かりがともった。

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