2024年4月13日土曜日

朝の体操

        
  月に1回、診療のために義弟を内郷の病院へ送って行く。カミサンが付き添う。国道399号(旧6号)の交差点にある平消防署のそばを、朝8時半前に通過する。

署員が何人か体操をしているときがある=写真。8時半過ぎに通ると、もうだれもいない。なるほど! そうやって119番に備えるのか。

しかし、事故や急病は時間を選ばない。体操どころではないときもあるだろう。実際、国道を、家の前の旧道を、朝となく夜となく救急車が通る。近くでサイレンが止まることもある。

最近は救急車が日常化している――そんな実感がある。地域全体が高齢化して、体調を崩したり、家庭内で転んだりする人が増えているのかもしれない。

 救急車だけではない。新聞折り込みの「お悔やみ情報」や記事で訃報に接する回数も増えてきた。

「あれっ、先日、電話で話をしたばかりだったのに……」。ふだんはつきあいがないが、行政区の役員として一緒に仕事をした元区長さんが亡くなった。お悔やみ情報で知った。

 3月末の日曜日に行政区の総会が開かれた。あらかじめ議長をお願いしていた人が、日曜日に急用ができた。

 あとは元区長さんしかいない。というわけで、電話をかけると……。「もう歩けなくなった、入院もした。できない」という。

 ウオーキングを欠かさない人だった。私が車で夏井川の堤防を行き来すると、河川敷のサイクリングロードをスタスタと歩いていた。

 最近は確かに姿を見ないな、そう思ったが、まさか電話からわずか10日ほどで亡くなるとは。

 通夜に参列した。行政区では、区長経験者は「顧問」になる。まだ元気だと思っていたので、なにかあったときには「最後のとりで」のように頼っていた。それも今となってはかなわない。享年88だった。

 少子化が進んで、地域の行事が負担になったのか、子どもを守る会が去年(2023年)解散した。

 もう一方の高齢化では、まず行政区の役員のなり手がいなくなった。隣組の班長がなかなか決まらないケースも出てきた。そうしたなかで顧問を失うのは心細いことでもある。

 しかし、これは行政区の役員に限らない。カミサンもまた知人の訃報に接する機会が増えてきた。

 1年以上音信がないと思っていたら、亡くなっていた。共通の知り合いから連絡がきて、知り合いと2人で墓参に出かけた。

 同じころ、朝日新聞の社会面に、若いころ、いわき支局に勤めていた元同社幹部の死亡記事が載った。私よりは3歳、年下だった。

 ほかにも、年下の知り合いが急死した、という連絡が入った。カミサンも同じように、昔、世話になった人の訃報に接した。

 そういう年齢になったということなのだろう。ここまできたら、もうジタバタせずに、成り行きにまかせるしかない。

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