「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」。庭のフヨウの花=写真=が咲いた日、フランスから日本に訃報が届いた。その人はすっかりしわがより、白髪になっていた。
俳優アラン・ドロンが8月18日、亡くなった。88歳だった。1960年に映画「太陽がいっぱい」に主演し、やがて世界的に知られるスターになった。
1960年といえば、私は12歳。阿武隈の山里で、仲間と群れて遊び回る小学6年生だった。
マチに映画館はあったが、上映されるのは主に東映の時代劇か日活の現代劇だった。中村(萬屋)錦之助や大川橋蔵、石原裕次郎や小林旭、赤木圭一郎に引かれた。
この映画館で洋画の「太陽がいっぱい」を見た記憶はない。たぶん淀川長治が解説したテレビの「日曜洋画劇場」で見たのが最初だ。解説者が番組の最後に発する「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」が今も耳に残る。
小学生のころはちょうど、電波メディアがラジオからテレビに切り替わるころだった。夕方になると家(床屋)のラジオに耳を傾け、大相撲のテレビ中継は近所の家電商の店頭で見た。初代若ノ花のファンになった。
同時代の歌手や俳優の情報は、ラジオやテレビだけでなく、家にある芸能誌からも手に入れた。
小学校に入る前、小・中学校、高専時代、社会人と、年代によって引かれるプロスポーツ選手や俳優・歌手は変わった。
それからすでに半世紀以上がたつ。このごろ、少し年上の人たちの訃報に触れる機会が増えてきた。
今年(2024年)亡くなった有名人のなかには歌手園まり(80)がいる。「受験生ブルース」のフォーク歌手高石ともや(82)も亡くなったばかりだ。
高石ともやの歌はちょうど20歳のとき、まさに受験とバイトを掛け持ちしていたときにはやった。
園まりの場合は確か中学生のころ、伊東ゆかり、中尾ミエと合わせて、「3人娘」としてテレビを席巻していた記憶がある。
ほかに、東映の「お姫様」役で知られた丘さとみ(88)、「今は幸せかい」を歌った歌手で俳優の佐川満男(84)も彼岸へ渡った。
大相撲では「つり出し」の明武谷(86)、詩人では白石かずこ(93)。きょう(8月21日)の新聞には、同じ詩人の新川和江(95)の死亡記事が載った。
年齢的には叔父・叔母、あるいはちょっと離れた年上のいとこと同年代、といった感じだろうか。
いずれにしても、子どものころから青年期までのわが人格形成期=同時代を、ともに生きてきた人たちだ。
先行する世代だからこそというべきか、次から次へと彼岸へ旅立っている印象が強い。
こちらもまた彼らの訃報に接して、人生の晩年にいることを思い知る。彼らの死を「合わせ鏡」のように受け止める年齢になったのだ。
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