2024年8月22日木曜日

91歳で書いた本

                            
 8月初旬のことだ。新聞をめくっていたら、女優で作家の岸恵子さんの新刊本を紹介する記事が載っていた。

『91歳5か月 いま想うあの人 あのこと』(幻冬舎、2024年)=写真。岸さんとつきあいのあった俳優や監督、作家などとの忘れがたいできごとをつづっている。

岸さんは8月11日で満92歳になった。1月にこの本を書き上げたときは91歳5カ月だった。その時点での実年齢をそのまま本のタイトルにした。

「高齢者の自覚」など3編は既発表だが、残る15編は書き下ろしだという。表現への、なんという意欲だろう。

「高齢者の自覚」は岩波書店のPR誌「図書」2022年5月号に掲載された。読んで感じるところがあったので、ブログで紹介した。以下はその一部。

  ――岸さんは横浜に住んでいる。坂の上に家がある。散歩をするために、毎日、車で山下公園へ出かける。

ある年、フランスに住む娘が家族とクリスマス休暇で来日した。娘が車を運転してドライブしたあと、やはり車を運転する母親にいう。「ママン、車庫入れしてみて」

「今まですっと入れていたのに、今日は二回も切り返した!」。で、娘にいわれる。「ママン、免許返納の時が来たのよ」

岸さんは82歳になっていた。「ハンドルを握って自由気ままにドライブすることが最高のリラックス法だった」が、家族の心遣いを受けて、その日で運転を断念した。

池袋暴走事故で加害者の元高級官僚に実刑判決が出たとき、岸さんは娘とのやりとりを思い出す。

「月日は容赦なく流れ、私は89歳になってしまった。山の上に住む私は、何処に行くにも坂だらけ、車を失った私はめったに散歩をしなくなり、筋肉が衰えた」――

カミサンは岸恵子ファンでもある。記事を読んだら、すぐ本屋へ直行するに違いない、と思ったら、すでにこの本を手に入れて読み終えていた。では、次は私が読むとしよう。

「高齢者の自覚」はどちらかというと、年齢相応の穏やかなエッセーだ。ところが、巻頭の「『ベコ』という女性」には絶句した。

 映画界に入ったのは高校生のとき。そのころ知り合った年上の女性がいる。彼女に言われるままに、映画界でのあれこれを手紙に書いて送り続けた。

 彼女はやがてある劇団に入る。すると、岸さんの手紙を回覧にして劇団員が読めるようにした。あるスキャンダル誌にも手紙が載った。裏切られた思いがした。

彼女との音信はそれで途絶える。そして時が過ぎ、人生の晩年を迎えたころ、彼女の消息を知る。最終段階の認知症だった。

「90歳になった私」の脳裏に浮かんだのは、英語ができて知的で「遠い昔に見惚(みと)れた小柄なベコの姿」だった。

 ほかにも、初恋の人だった俳優の鶴田浩二を書き、瀬戸内寂聴の「うそ」に抗議をしたら、詫び状が届いたといった話が載る。

 91歳であろうとなかろうと、ものを書く人間は自分に対しても、相手に対しても突っ放したやさしさが要る、ということなのかもしれない。

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