8月21日にこの夏初めて「秋」を感じた。室温は一日中、30度未満だった。夜は風邪を引かぬよう、腹だけにかけていたタオルを縦にして上半身にかけた。
台所の軒下にある鉢植えのアサガオも花を付けはじめた=写真。そこへ訃報がネットをめぐった。いちだんと秋の気配が濃くなった。
「編集工学」の提唱者である編集者・著述家の松岡正剛さん(80)が亡くなった。翌22日の新聞に死亡記事が載った。アラン・ドロンに比べたらささやかなものだ。
新聞記者になるかならないころから、名前は知っていた。5歳年上だが、ジャンルを超えた視点で日本文化を論じる知性には目を見張った。
彼のいうことが十分理解できたわけではない。が、なんとなく先入観や偏見がほぐれていくのを感じた。
その最たるものが「編集」だろう。新聞記者になり、書くだけでなく編集する側にも回った。仕事に行き詰まると、編集関係の本を読んだ。松岡さんの本も開いた。
松岡さんの本から学んだことで、「これだけは」といえるものがある。やはり「編集」に関することだ。
「編集」とは新聞や本、雑誌などをつくることだけではない。明日の自分の一日の予定を組み立てる。何時になにをして、何時にはどこそこへ行って、何時にはだれそれと会う――これもただの「予定」ではなく、一種の「編集」とみなすことができる。
その意味では、人間は絶えず自分を、自分と社会とのかかわりを「編集」しながら暮らしているのだ。
フリーになったあと、「一日に1回は締め切りを持つ」ことにした。具体的には毎日ブログを書く――。そう決めたら一日の過ごし方がガラリと変わった。
それにはこんな経緯があった。2007年秋に会社をやめて、やっと「締め切り」のない生活を楽しめると思ったのも束の間、年が明けると次第に気持ちが落ち着かなくなった。
ちょうどそのころ、若い仲間から「ブログをやりましょう」と声がかかった。ノートパソコンは新調したものの、情報の検索に使うだけだった。
「全部セットします、文章を打ち込むだけでいいです」というので、2008年2月下旬、「新聞コラム」の感覚でブログを始めた。
そこから一日に1回は自分に「締め切り」を課する、という生活が始まった。以来16年、ブログは5700回を超えた(もっとも最近は、日・祝日を休むようにはしているが)。
松岡流編集術の基本には、情報の収集~情報の関係づけ~情報の構造化~情報の表現という4つのステップがある。
要は情報のインプットとアウトプット、それを日々、ブログを書くことで経験しているということになる。
インプット(読書・隠居での土いじり・その他もろもろのできごと)の渦の中で見えてきた情報をアウトプット(文章化)する――。
日常を「編集」する、という思いは、まちがいなく正岡さんから学んだものだ。ブログはそのなかでも思考が形になって残るところに面白さ(と怖さ)がある。
1 件のコメント:
16年、5700回 驚異です。毎回、深く鋭い目、内容、啓発されること大です。体調万全ではないようですが、健康にご留意のうえ一層筆が冴えることを祈ります。
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