東日本大震災に伴う原発事故が起きる前は、「燃やすごみ」として出される落ち葉を夏井川渓谷の隠居へ運び、堆肥枠に入れて畑の肥料にしたものだった。
平成21(2009)年の3月中旬に書いたブログがある。まずはそれを要約・再掲する。
――街中の公園のそばに住まいがあって、晩秋になるとケヤキの落ち葉を片付ける知人がいる。
公園をきれいに保つための奉仕作業だ。たまたまそこへ出くわしたときに、ごみとして出すのだと聞いた。もったいない。焼却されるなら山へ返したい。
乗用車のトランクと後部座席に落ち葉の入ったごみ袋を積めるだけ積んで夏井川渓谷の隠居へ運んだ。
カミサンの実家の庭にケヤキの大木がある。秋に降る落ち葉の量がすごい。前に大きな袋に入った落ち葉を乗用車で隠居へ運んだが、とても追いつかない。
庭に何袋もたまっていた。義弟が「軽トラで運んだら」という。農家ではないが、商売で軽トラも使う。
運ぶだけならコトは簡単。運んだ以上は落ち葉を堆肥枠に入れなくてはならない。大きな袋で10袋以上はある。
それに前年の夏、隠居の庭の刈り草を回収した畜産農家から生の牛フンが届いたばかり。
こちらは刈り草を提供する、代わりに牛フンをください。そういうリサイクルの約束で始めた物々交換だ。それも堆肥枠に投入して発酵させる必要がある。
落ち葉と牛フンと米糠とをサンドイッチにし、発酵を促す内城B菌もまいて散水した――。
原発事故以来、中止していたマチからヤマへの枝葉(えだは)の循環を、最近、思い出した。
というのは、「燃やすごみ」の日に出したわが家の生け垣の剪定枝が収集されずに残されたからだ。ならば、ヤマへ運ぶしかないか。
剪定枝は市の規格袋だとすぐ破ける。代わりに、紙製の米袋に入れて出す。ずっとそうしてきたが、最近、急に厳しくなったらしい。
「このごみは収集できません」と書かれた黄色いステッカーが張られ、その理由として「市の規格袋で出してください」にチェックが入っていた。
規格袋は透明だ。それに入れて出せ、というのはわかる。が、なぜ今までよかった米袋がダメになったのか。
どこかで草や剪定枝に危険物でも混ざっていたのか。それでルール通りに透明な規格袋に入れて出せ、となったか。
「今までもこの状態(紙袋)で収集していましたのでよろしくお願いします」。カミサンが紙に書いて米袋に張り、再び剪定枝を出したら、やはり黄色いステッカーが張られ、市の規格袋にチェックが入っていた。
それではしかたがない。マチからヤマへ緑の循環を復活させるとするか。先の日曜日、車のトランクに積んで隠居へ運んだ=写真。
隠居の庭の境には剪定枝がちょっとした垣根のようになっている。それに積み重ねるだけだ。
やがて朽ちればキノコが生えてくるかもしれない。燃やせば灰を利用できる。循環のおもしろさがここにある。それでも、なんだかなぁ……という思いは消えない。
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