2024年8月15日木曜日

「再読」玩味

                     
 図書館から「新着図書」を借りて読む。新着でなくても、まだ読んだことのない本を借りる。読書の第一の楽しみはこれだろう。

 しかし同時に、若いときに読んだ本を再び手に取ってみる。当時を思い出しながらも、当時とは違った感慨にふける。時間の経過だけでなく、理解の幅も深度も異なっていることに気づく。

 5泊6日の入院中に2冊の本を読んだ。高萩精玄『福島人物の歴史第10巻 白井遠平』(歴史春秋社、1983年)と、『「いわき宇宙塾」講演記録集7 市制施行30周年 なぜ、いわき市は誕生したか』(いわき市、1998年)。

 前に読んだ本なので、中身はあらかた承知している。時間はあるが何もすることがないベッドの上では、いいヒマつぶしになった。

 その延長で家に戻ってからも、図書館の新着図書だけでなく、再読、再々読の本を手に取る。「熟読」玩味ならぬ「再読」玩味だ。

 読んでいるのは河原晉也『幽霊船長』(文藝春秋、1987年)と、監修浦田賢治・まんが監修石ノ森正太郎『まんが日本国憲法』(講談社、1996年)=写真=で、憲法の方は朝ドラ「虎に翼」の影響が大きい。

 どちらも目に留まったところを開いて、古い記憶を呼び起こしながら読む。「ああ、これはこういうことだったか」といった思いになることもある。

 日本国憲法はやはり、第14条に引かれる。「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

 「門地」がわからなかった。「家柄」、あるいは「身分」「貴賤」「出自」「階級」などのことだという。

 退院してから3週間余り。朝ドラは新潟編が終わり、東京編に戻った。火曜日(8月13日)には、主人公の裁判官佐田寅子が、大学で一緒だった山田よねに再会する。

 よねは弁護士になっていた。前は同じ大学の轟(弁護士)の事務所で働いていたが、みごと初志を貫徹した。

「轟法律事務所」から「山田轟法律事務所」へ。「轟」が先か、「山田」が先かはじゃんけんで決めた。

 その事務所の壁だかついたてに、憲法第14条が墨書されている。前も時折、この文章が登場した。それでこのドラマを貫いているのは憲法第14条ではないかという思いが強まった。

 一方の『幽霊船長』は戦後、日本の現代詩をリードした詩人鮎川信夫を身近に見てきた「弟子」による鮎川の評伝だ。

 私生活を明かさなかった鮎川の人となりや母親、妹らが登場する。10代後半から20代の終わりにかけて、鮎川の詩と評論をむさぼり読んだ。

そして、『幽霊船長』から鮎川の文章論の極致を知った。「生(ライフ)においては。あらゆる出来事が偶発的(インシデンタル)な贈与(ギフト)にすぎない。そのおかえしに書くのである。正確に、心をこめて、書く。――それがための言葉の修練である」

コラムを書くようになった中年以降、この文章を思い返してはかみしめるようになった。

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