街からの帰りに夏井川の堤防を利用した。5泊6日の手術・入院をはさむと、ほぼ半月ぶりだ
区間は左岸の平・鎌田~中神谷地内で、新川が合流する対岸・北白土では、河川敷の土砂除去工事が進められている。
合流部のすぐ上流に通称「銀橋」(下水道管橋)がある。その上流側は土砂除去が完了し、ダンプカーや重機が行き来するスペースも消えた=写真。少し見なかった間にだいぶ風景が変わっていた。
残りは銀橋~新川合流部のほんのわずかだが、こちらも土砂除去の最終工程に入ったようだ。
合流部付近から土砂を取り除き、銀橋の下もきれいにして、河川敷がだんだんしぼんでいく。
やがては堤防から河川敷へとダンプが行き来していた取り付け道路も消えて、元の堤防だけになるのだろう。
それよりなにより、驚いたのは鎌田から塩に入るあたり、蛇行による流量・流速の違いからか、川中島(中洲)ができて、そこだけ緑に覆われていたことだ。
夏井川は改修を重ねるたびに川中島と浅瀬ができる。この何十年か、夏井川ウォッチングを続けていて、経験的に学んだことだ。
平成22(2010)年11月13日の拙ブログだが、いつものように行き来している夏井川の様子を記録していた。
場所は今回、川中島ができて緑に覆われたあたりだ。右岸には何メートルにもわたって土砂が堆積し、木々が生え、畑が続いていた。今は立木も、畑もない。(文章は要約・修正したほか、現時点からの数字に変えている)
――平地の夏井川でだいぶ前から土砂除去工事が続いている。わが散歩コースの上流でも作業が始まった。
昭和63(1988)年6月、夏井川が建設省(現・国交省)の「ふるさとの川」モデル河川に指定された。
①やすらぎとふれあいの水辺づくり②まちの顔としての水辺の整備③歴史と伝統の保全と継承――などが目的だった。サイクリングロードもそのときできた。
この事業によって、いったんは川幅が広がり、夏井川は大河のような風情を見せた。ところが、年を経るごとに中洲ができた。最初に土砂がたまり、草が生え、灌木が茂ったのは、平塩地内。新川と合流する地点からいくぶん上流のところだ。
するとそのあと、もっと下流の塩地内と上流の鎌田地内でも中洲が成長し始めた。塩の中洲より下流では土砂が堆積して川幅が狭まり、ヤナギや孟宗竹などが繁茂した。
このため、平成20年から右岸・山崎地内では土砂の除去工事が行われた。鎌田の中洲も同21年、半分だけ土砂が撤去された――。
それからざっと15年。今度は「令和元年東日本台風」に伴う大改修が続く。川には「浸食・運搬・堆積」の3作用がある。それによって絶えず川は表情を変える。
川が生きている以上、下流部では堆積の影響をもろに受ける、と知るべきなのだろう。
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