雨模様の曇天下、青空がのぞけば庭に出て光を浴びる。ついでに草木をながめる。
カミサンがミョウガを刈り払い、フヨウの枝を剪定した。はじっこではムラサキシキブが紫色の実を付け、その手前には赤みの強いミズヒキソウの花が咲いている=写真。
花を撮るためにカメラを構えていると、すぐ腰のあたりが張ってくる。鍛え上げた力士のように中腰のままではいられない。
すっかり体を動かさなくなった。いや、年のせいで動きが鈍くなった。座いすから立ち上がるにも、口にこそ出さないが「よいしょ!」と気合を入れる。
江戸時代中期の俳人横井也有の狂歌が身にしみる。「皺はよるほくろはできる背はかがむあたまははげる毛は白うなる」「手は震ふ足はよろつく歯はぬける耳は聞こえず目はうとくなる」
最初は頭髪、次に目、そして歯と耳、やがて足。いや、後期高齢者になった今はすべてが同時進行だ。
水を飲むとむせる。のどの筋肉が衰えたことを自覚する。座卓の周りにある座布団を踏み外さないように気を付ける。2階から降りるときには必ず手すりをつかむ。前にはなかった注意行動だ。
去年(2023年)後半だけでも、カミサンの友人・知人が自宅で、外で転んでひざや肩を骨折し、入院して手術をした。
デイケアに通っている義弟も家で転び、背骨を2カ所、圧迫骨折をした。ほかにも近親者が転んで大腿骨を折ったという話が入ってきた。
カミサンからは毎日のように、「転ばないでね」と声がかかる。そこへ上皇后さまが転んで右の大腿骨を骨折した、というニュースが飛び込んできた。
心配なのはしかし、足だけではない。若いときから右耳が難聴気味だった。このごろはそれが昂(こう)じて、「誤聞」によるトンチンカンが繰り返される。
上皇后さまのけがの程度を新聞で知った日、カミサンのアッシー君を務めた。「ダイユー8へ行きたいの」と、四倉の方を指さす。
ダイユー8なら平の城東の方が近い。家から道路に出て西へ、城東へ向かおうとすると、「どこへ行くの? 四倉だよ」「ダイユー8なら城東でいいじゃないか」「ダイユー8じゃないよ、ダイソーだよ」。
カミサンは「ダイソー」と言ったというが、私には「ダイユー8」としか聞こえなかった。それ以上言い争っても仕方がない。すぐそばの交差点を左折して東へ、四倉へ向かった。
帰宅するとほどなく来客があった。昔からの知り合いで、体調を含めた近況を報告しあっているうちに、カミサンが私の耳の話を始めた。
再び「ダイソーと言った」「ダイユー8と聞こえた」とやり合っているうちに、「ダイユー8」が「ダイソー8」になってしまい、一瞬沈黙が生まれたあと、笑いが爆発してこの話は打ち切りになった。
骨折は足から、トンチンカンは耳と口から。言葉は転んでも体は転ばないようにしないと――と、あらためて家庭内事故の怖さを胸に刻んだのだった。
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