2024年10月4日金曜日

節目の日

                            
   年度替わりの3月末~4月初めと折り返しの9月末~10月初めは、なにかと気ぜわしい。今年(2024年)はとりわけ、「9月30日まで」と「10月1日から」を意識して過ごした。

区内会の仕事をしているので、毎年10月1日現在で世帯数を調査し、後日、市に報告する。

年度の半期ごとに隣組の班長が代わるところがある。少なくとも9月30日までに新班長(集合住宅の場合は何号棟の何号室まで)を把握していないと、回覧資料を届けられない。報告が遅い場合はとりあえず旧班長さんに届ける。

10月1日は、県の広報と「広報いわき」のほかにもう一つ、戸別配布の資料がそろった。まとめて入れた袋が集合住宅1階の郵便受けに入れば問題はない。が、そうでないときは部屋まで届けないといけない。

心肺機能が衰えた人間には、階段の上り下りはこたえる。さて、どうなるものか。いずれも郵便受けに収まったので、それだけでもうやれやれという気になった。

回覧資料の配布では水面下のやりとりもあった。地元の公民館まつりのチラシも、併せて配る予定だった。開催日は10月27日、場所は小学校の体育館。

自民党総裁選に続く10月1日の臨時国会で新首相が決まり、急きょ、10月9日衆議院解散、15日告示、27日投開票が浮上した。

それが現実になると、体育館は投票所に変わる。公民館まつりは延期か会場変更を余儀なくされる。前日、公民館に連絡して、とりあえずまつりのチラシの配布を保留することにした。

秋まつり真っ盛り。ほかの地域でもイベントの日程や会場を再検討する動きが出たにちがいない。

投票所の管理者と立会人には誰が、というよりどこの区長がなるのか。それも含めて、中央の「突風」がたちまち地方に吹き荒れた。

9月30日もあわただしかった。朝、病院へ薬をもらいに行き、夕方はカミサンのアッシー君を務めた。

いわき駅前の市川パン店が同日で廃業した。カミサンがパンを予約していた、丸テーブルと角テーブル=写真=も譲り受けた。

古巣のいわき民報は、9月30日が最後の夕刊だった。10月1日からは朝刊に切り替わった。

創刊は昭和21(1046)年2月で、私は昭和46(1971)年からざっと37年間勤務した。

新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、それが日本にも及んだ。いわきでも会議やイベントの中止・延期が相次ぎ、紙面を埋める記事が激減した。

それを補うために令和2(2020)年5月中旬、拙ブログの活字版「夕刊発・磐城蘭土紀行」が始まった。

当然、「夕刊発・磐城蘭土紀行」はタイトルを替えないといけない。「朝刊発・磐城蘭土紀行」として再出発をした。

パソコンの安全対策でも、10月1日から新機能を提供し、今あるサービスを終了する、といった内容のメールが入った。

パソコンに詳しい若い仲間に連絡して来てもらい、迷惑メールではないことを確認して、必要な操作をしてもらった。やれやれ、である。

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