玄関と茶の間の境に障子戸がある。夏場は玄関と障子戸、さらには茶の間のガラス戸を開け、2台の扇風機をかけて暑さをしのいだ。
今年(2024年)はしかし、「しのぐ」といったレベルの暑さを超えていた。9月下旬まで酷暑が続いた。
10月に入ると今度は冷たい長雨に変わり、朝晩どころか日中も肌寒く感じられるようになった。暮らしのリズムが一挙に夏から秋へと変わった。
歳時記風にいえば、立秋を過ぎると「暑中」は「残暑」に代わる。残暑は9月に入っても衰えることがなかった。
小名浜で最高気温が30度以上の真夏日を記録したのは、9月だけで10日あった。山田は、これが15日に及ぶ。夏が長かったわけだ。
それでも太陽の動きは止まらない。次第に日暮れが早くなり、夜明けも少しずつ、少しずつ遅れていき、気づいたら起きるのは6時ごろ、寝るのも1時間ずれて9時ごろに変わった。
起きるとすぐ玄関を開け、体で外の空気を感じながら新聞を取り込む。それから糠床をかき回す。
朝食後は薬を飲み、なにもなければ茶の間でパソコンと向き合い、疲れると横になって本を読む。
夏場はTシャツに半ズボンか、「孫」の親から贈られた通気性抜群の甚兵衛で過ごした。
9月後半からはこれが長ズボンに代わり、昼寝も足と腹を覆うタオルケットが必要になった。10月半ばには電気マットをオンにした。
夏はしょっちゅう、冷蔵庫を開けて冷たい水を飲んだ。これが実にうまかった。今は、冷蔵庫には水はない。直接、水道の蛇口をひねって水を飲む。
9月末には街の食堂でラーメンを食べた。小雨が続いてあったかいものが食べたくなったのだ。夏以降では初ラーメンだった。
茶の間の障子戸は「大阪障子」だという。10月中旬に、カミサンがしまっておいた小障子を持ってきて、はめた=写真。
下から2段目にガラスがはめられている。その上下に小障子が4枚はまる、夏は小障子をはずすので、玄関を開けても障子戸を閉めておけば来客がわかる。風も通り抜ける。人間と同じで、家の中も「衣替え」が必要なのだ。
大阪障子という言葉は、今回初めて聞いた。ネットにアップされている解説によると、大阪格子ともいうそうだ。
二重構造の建具で、夏は小障子をはずす。冬はそれをはめて気密性を高め、外からの寒気を遮断する。
以前は、というのはもちろん在来の木造建築のことだが、店の表と裏、茶の間と台所の境などに多く見られたそうだ。
外からは内部が見えにくく、内部からは外が見えるので、商家などでは重宝したということだ。
わが家の大阪障子は、最初からそこにあったのだろうか。よく覚えていない。どこからかカミサンが手に入れて、普通の障子戸と取り換えたのではなかったか。
いずれにしてもきめ細かで、すぐれた建具にはちがいない。風土に合わせた和の職人の創意とウデの巧みさに、あらためて感心した。
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