図書館や文化施設にはパンフレットスタンドがある。ときどき足を止めて、他県や他施設のイベント情報を頭に入れる。
先日はいわき市立草野心平記念文学館のスタンドから、大洗町幕末と明治の博物館(茨城県)、かごしま近代文学館(鹿児島県)などのチラシを持ち帰った=写真。
チラシの中身は各施設の企画展開催予告が中心だが、なかには単発のイベント情報もある。
さらに、同じ文学者でも生まれた土地や生活した土地、亡くなった土地では、企画展の視点・切り口が異なる。
たとえば、詩人・牧師の山村暮鳥(1884~1924年)。彼は群馬県で生まれ、磐城平(いわき市)などで布教と文学活動を繰り広げ、茨城県大洗町で亡くなった。
今年(2024年)、生誕140年である。いわきの総合図書館は、令和6年度前期常設展として、「生誕140年記念
三猿文庫の中の山村暮鳥と竹久夢二」を開いている。
暮鳥と夢二に交流があったかどうかはわからないが、それぞれがいわきに足跡を残した。
それを、三猿文庫(元は私設図書館。遺族が資料を市に寄託、総合図書館に「三猿文庫」コーナーができた)の資料から、主にいわきとのつながりを紹介している。
終焉の地、大洗では「生誕140年」のほかに、「没後100年」の記念展「山村暮鳥と大洗~おうい雲よ~」が10月12日から12月17日まで開かれる。「没後100年」がプラスされているのは大洗ならでは、だろう。
「おうい雲よ」ときたら、「ゆうゆうと……」と続く暮鳥の雲の詩の代表作が思い浮かぶ。初出は大正13年1月に磐城平で発行された同人誌「みみづく」第2年第1号である。
「おうい、雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきさうぢやないか/どこまでゆくんだ/ずつと磐城平の方までゆくんか」
「おうい雲よ」には最初、読点が入っていた。タイトルは「友らをおもふ」で、研究者は、この詩が相聞歌ではない証拠として、「友ら」と複数になっているタイトルを挙げる。暮鳥を研究する上では重要な文献の一つではある。
大洗のチラシには、磐城平の詩友らに呼びかけた雲の詩についての記述はない。代わりに別の雲の詩が載る。
「雲もまた自分のやうだ/(中略)/おう老子よ/こんなときだ/にこにこして/ひょっこりとでてきませんか」
昭和2(1927)年5月、大洗の海岸の松林の中に、小川芋銭筆による「ある時」という詩碑が立った。その芋銭の書による暮鳥の詩である。
暮鳥と盟友関係にあった三野混沌(吉野義也)とは別に、混沌の妻の吉野せいもまた暮鳥とは交流があった。
夫の死後、せいは息子の運転する小型トラックで埼玉県まで苗木や鉢物を買いに行き、帰りに大洗の暮鳥の碑を訪ねる(『洟をたらした神』所収「夢」)。
大洗には大洗の視点がある。しかも、空を行く雲に託した暮鳥の内面が透けて見えるような気さえする。あらためていろいろ触発されるチラシがあった。ほかのチラシにもいずれ触れたい。
1 件のコメント:
本日(11/4)、大洗町の、山村暮鳥の講演会を聴きに行きました。「磐城平」のことについてはふれられませんでしたが、暮鳥の詩の魅力を再発見できました。
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