2024年10月3日木曜日

昭和8年の「磐新歌壇」

                     
 いわきの若い人たちの間で、戦時下の昭和19(1944)年、27歳で亡くなった歌人田部君子(1916~44年)を顕彰する動きが出ている。

 3年前の令和3(2021)年秋、勿来文学歴史館でスポット展示「田部君子――清きほこりを高くかかぐる」が開かれた。これも背中を押した。

 田部君子は今のいわき市遠野町上根本に生まれ、平で育った。少女時代から短歌雑誌「潮音」に投稿し、その才能が注目された。しかし、短歌の創作期間は16歳から22歳までのわずか7年だった。

 この歌人を、自転車によるいわきの「時空散走」マップづくりを手がけるグループが再発見した。10月1日のほかに11、26日、11月10日と、「田部君子フェスティバル」を繰り広げる。

草野心平記念文学館のパンフレットスタンドから各館のイベント情報を伝えるチラシを持ち帰った話を前に書いた。

そのなかに、いわき芸術文化交流館「アリオス」のダンス・プロジェクト「時空おどりびと 田部君子編」(26日・いわき駅前大通り路上)があった。

別の日、街の食堂に入ったら、レジのわきに「いわき駅前公園化計画」と田部君子フェスティバルのチラシがあった=写真。田部君子のイラストに誘われるようにして手に取った。

「いわき時空散走プロジェクト」で「平」をリサーチする中で、田部君子に出会ったという。

田部君子フェスティバルでは平のまちを舞台に、時空散走とも重なるかたちで、夭折の歌人を紹介する。

勿来文歴が作成した田部君子略年譜には、昭和8(1933)年、小山田滋が磐城新聞歌壇欄の選者になり、16歳の君子が同新聞の新年懸賞歌に投稿、とある。

磐城新聞なら図書館が紙面を電子化したので、ホームページで閲覧できる。さっそく昭和8年の元日号をのぞく。

1面に、上から社告、歌人島田忠夫らの新春詠が載り、その下に「磐新歌壇/新年懸賞歌/題 水 雪/小山田滋選」の短歌が掲載されている。

田部君子は1等1人、2等2人のあとの3等3人の筆頭に入賞していた。「ひとひらのこの小雪をも春のものと思へばうれしけさの初雪」

選者の小山田は「才気縦横の歌を作られるようだ。将来もう少し歌を沈潜せしめ、深く掘り下げた内面的のものに進まれる可(べ)きであらう。と言ってこの雪の歌は勿論軽妙な逸作であることを否定する者ではない」と評する。

アリオスのチラシの年譜によれば、「潮音」への初投稿はこのあと、同年6月号である。

ついでながら、別のチラシ(いわき駅前公園化計画)については、私はこんな期待を抱く。

いわき市の中心市街地・平には人が集い、憩える街角がない。若いときからそう思ってきた。要は、パリのカフェ「フーケー」のような店が平の街角にほしい、と。

 街角にあるフーケーは通りに開かれた店で、外にもテーブルとイスが置かれている。その延長で歩道が市民の憩いの場になると楽しい。それこそが「公園化」ではないだろうか。

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