2024年10月28日月曜日

NHKも悩む日本語

                              
   NHK放送文化研究所の『NHKが悩む日本語』(幻冬舎、2023年)=写真=を読んで思った。

言葉に悩んでいるのはNHKだけではない。暮らしの現場ではだれもが悩んでいる。きょうのブログのタイトルは、それで「NHKも悩む日本語」にした。

 NHKには、全国の放送局から飛び込んでくる言葉の相談に、すぐさま回答する言葉の専門家チームがある。でないと生放送に間に合わない。

で、「どのようなことばを使えば多くの人に違和感なく内容を伝えることができるか」に腐心していることを、事例をあげて紹介する。

たとえば、「たわわ」。「たわわに実った落花生」という表現は使えるのか、という問い合わせには、「原則として、土の中の収穫物には使わない」と答えている。「たわわ」とは「枝がたわむほど多く実をつける」という意味だからだ。

もう一つ、「ほぼほぼ」。正確に事実を伝える場面では、「ほぼほぼ」は使わない方がいいのだとか。

「ほぼほぼ」は「ほぼ」を強調した言い方で、言い切りたくないときの婉曲表現として用いられる場合もあるようだ、という。

 それぞれの文章の末尾に執筆者名が記される。「たわわ」も「ほぼほぼ」も滝島雅子とあった。

朝・昼・晩とNHKのローカルニュースを視聴してきた人間には懐かしい名前だ。若いとき、福島放送局のアナウンサーだった。

それからの連想だが、東京発の番組には福島局経験者が少なくない。糸井羊司、片山智彦、栗原望、今井翔馬、安藤結衣……。ほかにもいるが、福島の視聴者としてはなにか知り合いが頑張っているような気持ちになる。

と、ここまで原稿をつくった土曜日(10月26日)の朝8時、NHKのBSでワールドシリーズの生中継が始まった。

大谷翔平を見たい。「NHKの日本語」もチェックしたい。パソコンでの打ち込みを中断して試合に見入った。

試合が始まる前、人で埋まりつつあるスタンドの映像に合わせて、アナウンサーが次第に「観客のボルテージが高まってくる」と語った。

ボルテージは「上がる」ではなく、「高まる」のか。すぐネットで検索すると、「ボルテージが高まる」は感情やエネルギーが高まる様子を比喩的に表現した言葉で、スポーツの試合やコンサートなど、興奮する状況でよく使われるとあった。

アナウンサーはそのキャリアのなかで、先輩あるいは言葉の専門家チームから、ボルテージが「上がる」「高まる」の区別を教わったに違いない。

そして、「ほぼほぼ」。これも2回出てきた。アナウンサーか解説者かはともかく、ゆるやかな場面では、NHKも「ほぼほぼ」は許容範囲内にあるということなのだろう。

生中継の開始から5時間。ドジャースが延長10回裏、逆転サヨナラ満塁本塁打で初戦をものにした。

その瞬間、私もボルテージが上がった。「高まった」ではまどろっこしい。翌日はしかし、大谷負傷で一気にボルテージが下がった。

0 件のコメント: