2018年3月1日木曜日

今度は「関係人口」?


 農文協の「季刊地域」第32号(「現代農業」2月増刊号)をパラパラやっていたら、「関係人口」という言葉に出合った。
 命名者の一人によると、「『地域に関わってくれる人口』のこと。自分でお気に入りの地域に通わなくても何らかの形でその地域を応援してくれるような人たち」も含まれるのだそうだ。一例として、特産品購入→ふるさと納税→ひんぱんな訪問→二地域居住と「関わりの階段」を上って、最後は移住に至る。

 もう20年以上前になる。やはり農文協の雑誌を読んでいて、田舎暮らしのかたちとして「定住」のほかに、「定来」「定留」という言い方があることを知った。「定来」は日帰り、「定留」は一泊から数日泊のイメージだろうか。

 そのころ現役だった私は、土曜日の夜、ひとりで夏井川渓谷の小集落にある隠居に泊まり、日曜日朝、一番列車でやって来るカミサンを江田駅まで迎えに行って、夕方には帰る、という暮らしをしていた。
 
 土いじりと森巡りを楽しんだ。渓谷の区内会にも入った。渓谷では3月最後の土曜日に総会が開かれる。終われば酒宴に移る。新聞記者にはそれが楽しみだった。山里の不思議な話が続く。酔いながらメモをとり続けた。
 
 定来・定留・定住からいうと、定来を越えて定留、週末だけ谷間の半住人、と自分を規定した。地元からみれば、もとからの人間(当時十数人、今はそれよりさらに少ない)のほかに、週末だけ人間が2人増える、ということになる。

「定来・定留・定住人口」のあとだったろうか、「交流人口」という言葉が流通するようになったのは。そして、今度は「関係人口」だ。年に3~4回、三和町の直売所「ふれあい市場」へ出かける=写真。地元からみたら、私も関係人口の一人ということになる。長期滞在をして地域のためにボランティア活動をしている若者たちもそうだろう。

 震災後、いわきとの関係性を強めた人を何十人も知っている。これも含めると、いわきの関係人口は100万人、いや数字ではあらわせないくらいに多いのではないか。

 田舎暮らしでいえば、定来→定留→定住と階段を上がるようにその密度が濃くなるわけではない。定来にとどまったり、定留から定来に戻ったりと、その人のなかでも違いがある。原発事故が起きた結果、定住さえままならなくなった――それが7年前の阿武隈高地の田舎暮らしの姿だった。
 
 関係人口論でいう関わりの階段も同様だろう。現実はジグザグなのだ。第二の人生を田舎で――とカジを切った団塊の世代にさえ変化があらわれる。土いじりを楽しんだ60代の次にくるのは、肉体的に田舎暮らしがしんどくなる70代だ。やがてマチへの再帰還が始まる……。私自身の近未来でもある。

 会社を辞めると、誘われてマチの区内会の役員になった。平日・日曜日の区別がつかなくなったうえに、土曜日の行事が増えた。渓谷へは日曜日の朝出かけて午後には帰る定来に後退した。マチの区内会の総会は3月最後の日曜日と決まっている。その準備もあって、渓谷の総会には欠席するようになった。

 そのためかどうか、今年(2018年)は半月前倒しで11日の午後2時から開催するという。日曜日だ。隠居へ行くので欠席する理由がない。いや、私が出席できるように取り図ってくれたのだろう。関わりの度合いは定来でも定住並みに扱ってくれる。また面白い話が聞ける。ありがたいことだ。

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