2018年3月10日土曜日

あす、満7年

 きのう(3月9日)は春のあらしになった。雨風がたたきつけるなか、用があって街へ三度出かけた。行きと帰りに各一回、夏井川の堤防を利用した。河川敷のサイクリングロードが水没し=写真、蛇行部、なかでも対岸・山崎地内のヤナギ林には大量のゴミが流れ着いていた。
 対岸は、土砂が撤去され、河川拡幅工事が行われた結果、サッカー場ができるくらいに河川敷が広くなった。大水のたびに上流から草の種が流れ着き、芽生え、生い茂り、土砂がたまった。結果、岸辺には前より何倍ものヤナギが繁茂した。それが、ゴミをとどめる障害物になっている。

 ただの低気圧による大水でさえこうなのだから、あのときは……。東日本大震災から3週間後、いわきの南部、岩間海岸から永崎までの沿岸部の道路を通った。分厚いコンクリートの堤防が破壊され、押し流されていた。堤防・道路・民家とつらなる海辺の風景は消え、大地がえぐられ、むき出しになっていた。小浜は海側の家並みが壊れて海がざっくり見えた。小名浜、永崎でも超現実的な風景が続いていた。

 わが家は夏井川河口から5キロほど内陸部にある。沿岸部の津波被災者、原発事故の避難者に比べたら、地震被害だけですんだ“B級被災者”だ。補助金の範囲で家の一部を改修したが、基盤はひび割れたまま。茶の間のこたつに箸をおくと、西から東に転がる。家が水平ではない。知り合いの歯科医師氏は、それで自宅を新築した。傾斜のある家に住んでいると三半規管がおかしくなるのだそうだ。

 あす、満7年。B級被災者でさえ、震災7年を伝えるテレビの特集には、当時の記憶がよみがえって息が詰まりそうになる。特に、津波の映像がそうだ。これは、被災地以外の人々に「満7年の現状」を知らせる番組なのだと言い聞かせても、目をそむけたくなる。

 3・11の直後にはむしろ、何が起こったのかを知ろうと新聞をむさぼり読み、テレビを見続けた。やがてAさんの妻と孫が、Bさんのきょうだいや親せきが津波で亡くなった――そんな話が伝わってくるうちに、冷静ではいられなくなった。

 死者1万5893人、行方不明者2553人、震災関連死3523人(2017年時点)――といったような統計から東日本大震災の被害規模の大きさはわかる。が、大事なのは2万余に及ぶ人々の、個別・具体の生と死に思いを致すことだ。あの人が、この人が……。そうなって初めて、巨大地震・津波・原発事故の災禍の本質がみえてくる。

 1週間前のTBS報道特集で、「震災7年~少女が初めて見せた涙」を見た。津波で両親と姉を失った小1(現在中2)の少女が、閉ざしていた心を開いて、カメラの前で涙を流すまでの7年間の軌跡(つまりは取材の積み重ね)を追った。こういうていねいな取材には共感がもてる。やはり、「個別・具体」でないと、見ている人間の想像力には届かない。

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